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「サードプレイスを失う危機」をわたしたちはいかに乗り越えるのか?

今回のコロナの件は、病気として身体に対するダメージというのもあるのですが、コロナの感染の性質から、わたしたちの「社会的な生活に対するダメージ」も大きいのがやっかいです。

特に私が最近、大きな脅威と感じているのは「わたしたちからサードプレイス的な場を奪おうとしている」という点です。

サードプレイスの具体的な説明はこちらの本を読んでいただきたいのですが、簡単にいえば、

・家庭(第一の場)でも、職場(第二の場)でもない、第三の場(とびきり居心地のよい場所)
例)居酒屋、カフェ、本屋など

のことです。

我々はいま「インフォーマルで、不特定多数の人が集まり、楽しみを共有できる、ゆるやかなコミュニティ」を対面でつくれないという危機に直面しているといえます。

サードプレイスがなくなることで起こる問題

サードプレイスがなくなることは何が問題なのでしょうか?

そもそもサードプレイスなどの話がでてきた背景について、やや乱暴に、ぼくなりの解釈で書いてみます。

それは、人間にとって「孤独」と「退屈」というのは耐え難いものという認識です。仮に普通の生活がおくれたとしても、「幸せ」(もしくはウェルビーイング的な状態)を感じられないのではないかという問題意識があったと解釈しています。

今回の件は、私たちにこうした「孤独」と「退屈」の問題をあらためて突きつけてくるという点に脅威を感じています。
(このあたりの内容は、以下の書籍の内容を参考に、舘野なりの解釈を加えています)

オンライン上でのサードプレイスの現時点での課題

この危機を私たちはいかに乗り越えていけばよいのでしょうか。

わたしはこの状況は危機だとは感じていますが、一方で、人間はその中でも柔軟にあらたなものをつくりだす力をもっているとも思っています。

すでに「オンライン飲み会」が開催されるなど、この状況下におけるサードプレイス的な環境はあちこちですこしずつ生まれてきていると思います。

しかし、現状のオンラインでのコミュニティの問題は、どうしても「既存のつながりの延長」なのかなと思っています。「不特定多数がゆるやかにつながる」とか「偶然性」「偶発性」がやはりどうしても足りないのですね。

私の感覚で言えば、「自分のこれまでのつながりの貯金をつかっている」もしくは「自分の机の中から一万円を発見した(そもそも自分のお金)」という感覚であり、「新たなつながりが生まれている」という感覚は少ないです。

山中俊治先生はアイデアという視点から書かれていますが、この感覚に近いものがあります。

おそらくオンライン上でのサードプレイスを考える上で、こうした偶発性をいかにデザインしていくのがポイントになるのではと思っています。

「遊び」の持つ可能性

今回はサードプレイスという視点から、いまの現状をについて考えてきました。長くなってきたので今回の記事で長くは説明はしませんが、こうした環境の中で「遊び」の持つ意義はより大きくなってきているように思います。

「遊び」というと、こんな状況下(身体的、経済的な危機もある)で何が遊びだという気持ちになるかもしれません。しかし、これらは同様に重要な問題であり、切迫した状態だからこそ、より重要性が高まるものだと考えています。

アフターコロナ(ウィズコロナ)におけるウェルビーイングについて私たちは真剣に考えなくてはなりません。

私はこうした環境のなかでも「楽しみや充実感を感じられる場とネットワークをつくりだせる人」は重要だと考えており、私はこれをPlayful Leadershipという言葉で表現し、ゼミ生とともに研究・実践をしていきたいと考えています。

Playful Leadershipとか言っていたのは、コロナの前なので、正直こうした状況になって戸惑っている部分も多いです。わたしたちの領域の研究者は、ワクチンづくりなどでは貢献できませんが、別の側面から何かできるといいなと思っています。

大変な環境ではありますが「遊びを通じた新たなつながりを再創造する力」を信じて、さまざまな実践をおこなっていければと考えています。

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■関連する文献

こちらの書籍、とてもよかったです。ウェルビーイングについて考えるうえでとても参考になりました。


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