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#16.5 「千葉すずの夏」

大阪の公立小学校のプールで、その人は泳ぎを教えていた。

「ねぇねぇ、オリンピック出たことあるの?」

子どもたちは、ドキッとするようなことを平気で聞く。

「出たよ」「何位?」「6位、すごいやろ」

子ども達が生まれるずっと前、10代の千葉すずがバルセロナで残した記録。40代の彼女は夏になると、大阪の公立学校を回って水泳を教えている。

圧倒的だった。その授業は。何だろう。でもそう言うしかない。50人くらいの子どもをプールの両端に分けて、13mを交互に泳がせる。全員泳いだら、ワンポイントアドバイス。そしてまた泳がせる。ただそれだけのシンプルな授業。でも、それは圧倒的だった。

まず、大きな声。拡声器も使わずに、プールの隅まで声が真っ直ぐに届く。欠点は指摘しない。「いいよ、いいよ」大きな声で子どもたちをチアアップする。

伝えるアドバイスは簡潔だ。

手は下に回すのではなく、体の近くをかく。顔は斜め下を向いて、できるだけ動かさない。腕は片方ずつでなく、自転車のペダルのように連動して動かす。

子どもたちはプールサイドで身振り手振りで教えを繰り返す。速く泳ぐことを目標にしない。目指すのは楽に泳ぐこと。スムースに前に進むこと。

「隣の人と比べなくていい」
「女子にいいとこ見せようと思うな」

冗談も混ぜながら、大切なことを伝えていく。競争ではない。自分の中の成長なのだと。

そして大阪弁の魔法。教えるけれど、上からではない。

「楽に泳げたらいいやんか」
「頑張らんでもええねん」
「どさくさに紛れて泳ご」

彼女の心の温度をそのままに伝えていく。

「できてますやん〜」
「すごいな!東京オリンピック間に合うな」

決して誰か一人を例にとって教えない。50人全員に語りかける。1対1×50人。ではない。1対50人。彼女は50人をまとめて持ち上げようとする。その大きな声で。空間そのものを。プールの温度が上がっていく。

凄い、と思った。これが千葉すずなんだ。現役を退いて20年。それでも圧倒的な熱量と存在感。
いや現役かどうかは関係ない。自分自身であり続ける人生の中に、たまたま競技があり、五輪があった。

授業が終わると、先生たちが集まってくる。

「水に顔を付けられない子どもはどうすればいいですか?」「いいんですよ、できなくて。頭ごなしは絶対だめ」「どんどん、のせてあげて」「見せるための泳ぎなんて必要ない」「本人が良ければ、形と違ってもいいんです」

こうでなければいけない、なんてない。その人の「できないこと」を否定しないで。とにかく褒めて、持ち上げて。至近距離の先生にさえ、大きな声で彼女は伝える。

若い教師の顔が変わっていく。思い込んでいた「こうであるべき」が気持ち良く否定され、心の雲が取り払われていく。

千葉さんは夏の間、スケジュールの限りを尽くして大阪の学校を回る。休憩無しの濃密な1時間を1日4回でも全然大丈夫。おそるべきエネルギーの埋蔵量。自分にとって意味があると感じたことにしか注がないから、尽きることのない情熱の泉。

終わったあと、挨拶をして少しだけ話を聞いた。したいことはあるけれど、大きなプロジェクトは性に合わない。やりたいことが、しがらみに変わってしまうのが嫌。直感的に物事を決める、その直感の力を彼女は信じている。そしてそれを曲げることはない。

そうやって、彼女は生きてきた。
五輪の季節が終わった後も。

印象に残った光景がある。授業の最初。彼女はまずプールに入り、ゴーグルを付けた。

「見といてや」

そう言って、50mを泳ぎ始めた。子どもたちは元オリンピアンの、特別なスピードを期待しているように見えた。

すげー、さすが!
そんな泳ぎを僕も期待した。

でも、千葉すずはゆっくりと泳いだ。
ゆったりと、それでいてスムースに水を進む泳ぎ。
彼女の理想の泳ぎを、彼女は子どもたちに見せた。

少し遅れて拍手が響いた。

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