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NHKスペシャル「OKINAWA ジャーニー・オブ・ソウル」

「これは音楽の旅、ミュージカルジャーニーなんだ」
そう語ったのはU2のラリー。アイルランド出身の彼らは80年代後半、大規模なアメリカツアーに意気込んでいて、その様子をドキュメンタリー映画「魂の叫び」にした。

エルビス・プレスリーのアメリカ、B・B・キングのアメリカ。自分達を魅了したロックンロールのルーツを訪ねながらツアーを続けていく。しかし憧れのロックを発展させてきたアメリカは、中南米の民衆が打ち立てた政権を弾圧するアメリカでもあった。アメリカへの複雑な気持ちを抱えながら彼らは旅を続けていく。 

日曜に放送されたNスペ「OKINAWA ジャーニー・オブ・ソウル」を見た。音楽を軸に、沖縄に生きる人々が辿ってきた歴史を辿るドキュメンタリー。期待もあり、不安もあった。
音楽がある種の、道具になってないといいな。自分の好きなものを番組で伝える時の難しさ、それは自分にも経験があったから。

序盤はちょっとそんな感じもあった。紹介されるのは70年代。最近、映画にもなっているコザロック。アメリカ統治下で音楽をする事の難しさは語られるけれど、彼らの音楽が、どれほど魅力的なものであったかは伝えられない。

沖縄の人たちは、自分達を支配するアメリカの音楽にどのように魅了され、その矛盾をどのように受け止めたのか。ビール瓶が投げられる中でのライブのエピソード。それは武勇伝ではなくて、リスクとして語られる。音楽は、生きる為の手段のように語られるけど、それだけじゃないだろうなと感じた。

ロックンロール。それは虐げられてきた黒人の音楽を、白人が収奪するようにして商業化し世界に広めてきた音楽。しかし黒人のブルースやゴスペルが、そのままであったら今のロックとはなりえず、ブラックミュージックに魅了され、自分達なりに解釈した白人の存在が今のロックを生み出した。
そして白人には、今もブラックミュージックに対する根強い「コンプレックス」が存在する。

白人と黒人の支配関係や屈折した憧れ。それは沖縄とアメリカ、本土と沖縄の関係とどこか重なる。番組の中盤、アクターズスクールやSPEED、安室奈美恵の流れは、そういった意味では興味深い。
本土から沖縄にやってきた男が作り出したアクターズスクール。マイケル・ジャクソンの動きを徹底的にコピーしたと語る。芸能界を席巻した10代の沖縄の少女達の音楽とダンス。今では10代前半のアイドルなんて珍しいことではないけれど、90年代後半、僕は躍動する彼女たちのダンスを、どこか後ろめたさに似た気持ちを感じながら楽しんでいた事を思い出す。沖縄の少女を、本土の僕らが消費しているような後ろめたさ。

そして終盤に向けて番組は力を増していく。
BEGINやモンパチら、自分自身で音楽を生み出している人たちの言葉には説得力がある。

「どうぞ良ければ、沖縄をふるさとと思って」

そう、BEGINのボーカルが四角い顔で語る。その複雑さ。
アイデンティティを失った日本に、沖縄を「ふるさと」として差し出す。優しげな笑顔と言葉は、僕らが沖縄で出会う人たちの優しい笑顔に似ている。その裏には深いかなしみが感じられ、そのインタビューは、とても沖縄的だと思った。

そしてAwich。
今を生きる彼女の存在と言葉は、ここまでの伏線回収のように響いた。アメリカ人とクラブでやり合う姿は、70年代のコザロックの風景との対比のようでもあり、もしかしたら、あの頃でも存在した風景かもしれない。

「アメリカを血肉にしていくということを、ロックとかヒップホップではやってきたんですけど、逆境を自分達の力に変えるという根本がそこにはある」

「アメリカが憎かった頃もあるけれど、米軍のゴミでも何でもいいから、そこを拾って自分達の生活の糧にしていく。そこに誇りがないと言われるかもしれないけど、生き抜く、そこが一番大事でしょ」

アメリカを自らの「血肉」にしていく、という言葉の凄み。厳しい状況を生き抜く中で、研ぎ澄まされた知性と感性。
すぐれたアーティストは、ジャーナリストでありシャーマンのよう。人々の歴史や心の奥底に眠る思いに、言葉とメロディを与える。¥

ラストに歌われる「TSUBASA」
沖縄の歴史をダイジェストしたような映像をバックに歌う。そしてかつてのコザの街並みの映像が、今のカラフルな映像に乗り替わり、そして空へと舞い上がる。

 大空を飛び交う影に
 僕らの夢乗せてみるんだ

米軍機の映像をバックに歌われるのは悲しみの歴史を前提とした希望。もしかしたら一瞬の夢かもしれないけれど、
それこそが音楽の力だ。

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