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#15 「風を追いかけて」ラグビー福岡堅樹

「スポーツ✕ヒューマン」の編集長をしていた頃に書いた文章です。
福岡堅樹選手の引退までの日々を追いかけた番組でした。

風のように、その男は駆け抜ける。

トップスピードで走りながら瞬時に左右を確認し、走り抜けるルートを発見する。芸術的なスルーパスのように、福岡にしか見えないゴールへの道を走る。

相手を引きつけて反転。ラインギリギリを行く、かと思えば瞬間インサイドに切り返す。同時多発的に起こる状況の全てを把握して、解答を導き出し肉体に指令を送る。肉体はその指令を完璧に遂行する。僕らはため息をつくしかない。

この番組は敗北の記録である。

福岡の、ではない。「福岡堅樹」を捕まえようとした制作者の敗北の記録だ。

当初、福岡はあまりに完璧で、優等生的に思えた。ラグビー日本代表となり、国民的英雄となり、そして医師を目指す。欠落や挫折、僕らが誰かを描くために必要としてきたピースが見つからない。
彼は「本音を語っていないのではないか」何か「隠された思いがあるのではないか」

タイトルを決めた。

「福岡堅樹を捕まえろ」

つかみどころが無い。それこそが福岡を捕まえるための出発点ではないかと。証言を集めた。仲間や恩師、家族や同級生。それほど意外な事実は見つからない。

共に死地をくぐり抜けた仲間の言葉からは、不思議な距離感が感じられた。 

「僕は、勉強を捨てた身なんで、尊敬しますよね。知識・技能・才能が、彼にはあると思うので、できるんであれば、欲張れるだけ欲張った方がいいんじゃないですかね。選択肢が広がれば広がるほど、彼にとってのチャレンジも大きくなるでしょうし、非常に先が楽しみですよね。寂しくは、ないですね」(稲垣啓太)

どこか違う星の生物について語るような口ぶり。

「できるならそれは、できたらいいと思いますし、できることが素晴らしいと思います。僕はただ不器用なだけで、器用な奴がやればいい。ちゃんと2つで結果が出てれば、ラグビーで結果出てれば、僕はいいと思います」(堀江翔太)

それだけ特別な存在ということなのか。

制作を進めるなかで、ひとつの不安が胸に浮かんだ。口には出せないけれど、もしかしてという思いが。

「福岡堅樹は、私たちを必要としていないのでは」

番組制作は、いくつかの情報や映像や言葉から、人物像や物語を描くこと。あなたは、こう見られているけれど、本当はこうなんだ。自身でもうまく捉えられていない「その人」を掴んで、提示する。
それが見る人には新たな発見となり、もしかしたらその人自身にも何かの助けになるのでは、ドキュメンタリーはそんな思いで作られる。

しかし、おそらく福岡堅樹は関心がない。自分がどう見られるか、そして「本当の自分」という概念に。自らの才能と可能性の行き先しか、きっと見ていない。

「物語に谷が見つからない」そんな事を思うのはきっと不遜なこと。挫折が無いと成長は生まれない。それはステレオタイプな物語論。大谷翔平のように今は、古典的な物語を軽々と越えるアスリートが生まれる時代で、きっと福岡もその一人なのだ。
そうだ。インタビューでいつも福岡は紳士的に自分の目標とその理由を明確に語っていた。何も、隠されてはいなかった。

1番のヒントを与えてくれたのは、エディー・ジョーンズ。冷徹さと人情味を併せ持つ名将は、福岡の本質を物理学者のように発見した。

(福岡の選択がラグビー界に与える影響は?)
「ゼロだ。なぜなら彼は例外的だからだ。彼はラグビー選手になれるほど偉大であり、医師になれるほど賢い。私たちの多くは、そうではない。だから、そのような選択肢はない。彼は特別なんだ」

ラストシーズンを自身初の優勝、そしてMVP。「福岡堅樹物語 ラグビー編」とでも言うべきものを完璧にやり遂げた後でも、福岡は福岡だった。

(一番最初に浮かんだ景色は?)
「特別なものが見えたかって言われると、ほんとにいつも通りの景色でした。基本的に僕はもう、割と淡泊なんで、ははは。そんな過去のことがドンって出てくるようなことは無いですし、これから勉強の道、頑張ろうっていう。切り替えというか。自分の中ではそれも1つ自分らしいところかなと思います」

一陣の風のように、福岡は走り抜けた。風が通り抜けた後には何も残らない。必死に追いかけて何かをつかんだ、気がした。でも伸ばした腕は空を切り、疾風は通り過ぎた。

わずかにふれた風の、不確かな感触だけが手のひらに残る。
視線の先に砂埃が立ち上がる。もうずっと先を、風は走ってる。

この番組は敗北の記録である。
清々しいまでの敗北の記録。参りました、と僕らは言うしかない。

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