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ファインダーを覗けば僕の部屋

Midnight Diary #28

今の家に引っ越して5ヶ月。
生活もだいぶ落ち着いてきて、仕事帰りに最寄りの駅に到着すれば「あぁ、帰ってきたなぁ」と思えるくらいには馴染んできた。

今思うと、引っ越しからかなり大変だった。
以前は実家に住んでいたので荷物は少ないだろうと思い、自分で引っ越しをすることにしたのだが、あれやこれやと片付けながら運んでいたら、片道100キロの距離を4往復もすることになってしまった。
マンションは5階建てにも関わらずエレベーターが無いため、荷物は自室のある3階まで階段で運んだのだが、かかる労力は思っていたよりも凄まじかった。
また、暮らし初めた頃は家具家電と言うものが全く無く、一週間以上はフローリングの上に寝袋を敷いて寝ていたことを思うと、よっぽど人間らしい暮らしができるようになった。
こんな見た目だが、ストレスにはめっぽう弱い。
身体に色々と不具合も出ていたのだが、それもだいぶ改善されてきたし、パートナーの協力もあって、生活がだいぶ充実してきたように思う。
洗濯機の音がこんなにも安心できるのかというのは思わぬ発見だった。

見慣れない部屋、見慣れない町に住んでいると気持ち的に落ち込んてしまう。
例えばこれが旅行とかのように短期間でかつ終わりの見えているものであれば楽しめるとは思うのだが、日常の枠に入れよと思うとなかなか大変で、どこに行っても自分の痕跡がない町は本当に苦痛だった。
36歳、バツイチ独身がホームシックとかどう考えてもヤバイ。
気分転換と言って出かけようかと思ったが、それは逆効果であるとクリニックの先生に教わった。
気分が落ち込んでいるときは布団にくるまって、昼か夜かもわからなくなるくらい寝るのが良い。

そんなことを思い出しながら、家にある写真集を見ているとあることに気がついた。
写真を撮ることは、自分の痕跡を残すこと何じゃないのか?
まず大前提として、写真には撮り手がいる。
別に自分が写っていなくとも、これを撮ったのが自分であるという事は、自分がそこにいた痕跡として残すことになるのではないだろうか。
もしかしたら僕が気づいていないだけで、面影の材料はたくさんあるのかもしれないと。

そんなこんなで外に出てカメラを構えてみる。
埃っぽいガラスの向こうには、四隅に印があり、真ん中に距離計の二重像。
「あぁ気が付かなかったな」
どうやら痕跡云々どうでもよかったらしい。
どこに行っても、何を撮っていても、ファインダーの中は見慣れている。
何年もこのファインダーの中で僕は過ごしてきた。
そう思うと、そこは完全に僕の部屋だった。
たまたま窓の外の景色が変わっただけのこと。
必要なものは揃っている。
なんてことないじゃないかと思うと、なんか少し気持ちが楽になった気がした。

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