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釧路都心部まちづくり計画について

この記事は、釧路のまちづくりにおいて、行政と民間の分断を煽るような記事ではなく、かえって距離を埋めるための「投げかけ」としての記事となります。ご理解の上、読んでいただけると幸いです。

「まちづくり」って、なんだろう?

振り返れば、ここ30年の北海道釧路市における中心市街地の「都市計画化」は止まったままじゃないだろうか。釧路市という16万人の人口規模のまちで、ここまで「まちづくり」を進められないでいる自治体も、なかなか珍しいのではないだろうか?

自分が学生だった1997年~2000年頃は、十分「まちなか」で遊べていたが、郊外に大型ショッピングセンターが進出した2000年から、釧路の駅前通りで知られる北大通にあった「丸井今井」が閉店した2005年頃。それ以降の2000年代後半からのネットが普及したことによる買い物の変化などから、一気にメインストリートの衰退が進んだようにも感じられる。

現在、釧路市が進めているJR釧路駅の高架化を含む「釧路都心部まちづくり計画」における基本構想編として、北大通の活性化も視野に入れた「RINK釧路まちづくりラボ」のメンバーとして参加している清水。今回はその辺の話をまとめておきたい。

RINK釧路まちづくりラボについて

そもそもは、2019年2月。釧路市役所の都市計画課まちづくり推進室の方々から声を掛けて頂いたことから始まる。その時は、某市民団体代表の方とシェアオフィスなどを手がける会社の代表をやられている方と一緒だった。

その後、北大通で長年営む会社の社長さんや商工会、公立大学生も加わり、民間の声を集約した話しがスムーズに進んでいくと思っていた。

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2015年にフィールドノートという「くしろ地方のローカルメディア」をはじめてから、様々なお店を取材し、お店のことだけではなく釧路のまちづくりについて意見なども店主さんから伺ってきた。

空き物件や廃ビルの増加、そこには行政に対しての厳しい意見もあった。そうした声を行政内に届けて、地に足の着いた「まちづくり」を行ってもらいたい。勝手ながらそうした思いから清水も参加させていただいたが、なかなかスムーズに進まない。

これは一体どうして?

行政が行う「まちづくり」

まず、清水が参加した条件は、とにかく会議の内容をオープンにすることだった。信用されるまちづくりとは?と問いを持った時に、必然と出てきた条件がそれだった。それと「釧路都心部まちづくり計画」には3つのグループがあり、その3つのグループの内容も共有させてもらいたいということ。

この2つの条件は最初の段階ではOKと承認をいただいてたものの、今のところ2つとも期待を裏切られる結果となっている。

また、行政のことだけではなく、民間側もただ文句ばかりを言うのではなく、責任を持った発言やアクションが必要だと思う。そうした立場を補いながら地域のベストとなる目標を定めるべきだと思い参加していたが、なかなか情報をオープンに出来ない事情が行政側にあるようだ。あとになって知ることになるが、議会で承認が得られないと公開できない情報もあるのだそう。

お互いの立場や条件など、どこまで知ることが出来るか?によって「関わりしろ」が見えてくるのでは?と思うが、オープンに出来ない事情があるなら、それならそれで始めからそう言っていただきたいところであり、そうした一方通行なものの見方が分断をすすめているように思えてならない。

知らずに進む、まちづくり計画

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2020年8月末頃、コロナ禍の影響もあるが進捗の共有や議事録などを通じたやり取りも2~3か月の間、放置された状態でこの新聞記事を見ることになった。コロナの影響は勿論あるが、会合を開かないなら開かないで連絡があっても良いはずだが、記事を読んで本年度の会合は開けてない、ということを知る。

担当の方々は、お給料が出る仕事としてやっていることですが、参加している民間側は、この件に関しては無報酬で集まっていることを先ずは認識していほしい。信用のおける「まちづくり」とは一体どうすれば生まれるのか?

パブコメについても、とても見辛い釧路市役所のホームページから、一方的に公開しているだけであって、この記事を見なかったら気付かなかったし、せめて参加していたメンバーに伝えて拡散を促すなど、「伝える努力」はするべきだったと思う。

他にもまだまだ気付くことはあるが、こうした点からも行政が主導で行っている「まちづくり」は、彼らにとって「業務」でしかないのでは?と思ってしまう。その街の生活者にとっての「営み」から乖離しているようにも感じられる。

そもそも北大通で買い物をする人が釧路の中でどれだけいるだろうか?私が知らないだけかも知れないが、実際の店主さんとの話も含めて私の印象としては「釧路を何とかしたい」という人ほど、そうじゃない人が多いのでは?と思う。要は、地元の個人店を利用しているかどうか?ということにも繋がる。

特に影響力を持つ世代や個人においては、率先して何をどこで購入しているか?どんなことを大切にしているのか?発信しなければ参考にもならないし、誰もついていこうと思えないのではないだろうか?
最近話題の日本製紙撤退の話だけではなく、イトーヨーカドーの撤退やセオチェーンなどの地元スーパーや個人店の消失をとってみても、失ってから気付くのではなく「あるもの・いるひと・できること」を掲げるリーダーシップを発揮する人が不在のようにも感じられる。

話を戻すが、パブリックコメントについても否定はしないが、釧路くらいの規模のまちであれば、もっと担当者が顔を出して市民の意見を反映できるような場をつくるべきでは?とも思う。

なんか清水の文句ばかりになって心配してきたが、やはり問題の本質は「閉鎖的な進行」にあると思う。

釧路市長選挙と悩ましい4年の市政

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10月には釧路市長選も終わり、条例を変えてまで当選した4期目の蝦名市長による市政が始まった。「釧路都心部まちづくり計画」の中にあるJR釧路駅の高架化について、候補であった鶴間氏と松永氏は反対だったが、計画は変わらず進められることになる。(それで良いの?釧路市民…)

そもそも両氏の票を足すと、現職を上回る票数 = 都心部まちづくりへの理解・市民の信頼を得ることが喫緊の課題では?とも思う。このままでは一方的なまちづくり計画になってしまうのではないか?と危惧してしまう。

今回の釧路市長選にとってみても、現職の蛯名市長が出るだけに現職の国会議員、道議会議員、市議会議員と総力戦で挑んだという、稀にみる選挙だったのでは?と思う。結果的には、続投という形になったが前回の選挙から10,000票も蛯名市長は支持を落としているもの事実。いずれにしてもこれほどまでに信頼されていないリーダー不在の市政の中で、IT革命真っ只中の激動4年間を釧路市民は生きていかなければならない。

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何回も言うが、釧路駅の高架化は30年以上も前から話されていたことで、決まっていることを覆すことは出来ないかも知れないが、意見などあれば影で文句を言うのではなく、匿名のパブリックコメントでも良いが、実名で責任ある要望を民間側も発信するべきだと思う。(帯広駅や旭川駅も高架化しているが、実際の今ってどうなっているの?)

お店の方々もお店をやっている以上、お客さんの中で分断を生みたくないという点で政治のことについて話さない方が多いが、ここだけの話、意外と私には話してくれることが多いようにも感じる。
もちろん守秘義務なので誰が何を話しているかなんて言わないが、しかし、そうした声も含めて様々な意見を集約した取り組みにしていかなければ「関わりしろ」なんて生まれない。

私自身もそうだが、「釧路が、より良くなってほしい」と思う人は多いと思うが、「良くすると言っているのだから良いだろう」といったような正義を振りかざすことや、一方的な進め方で話を進めていくことではなく、信頼できる「まちづくり」とは、このまちに暮らす人たちとの対話や傾聴が必要なのでは?と思う。
そうした様々な声を集約する努力を行政にはしてほしいと切実に思うし、民間側も正直、結果的に「誰か任せ」になっていると思う。もっと、自分たちの声を、責任のある行動をとってほしい。

今のところ参加して思うのは、結局は「市民から意見を聞いた」、といった事実を作りたかっただけのような印象。そうした行政主導型の進行が根本的な問題で、そこが変わらないと変化は起きない。「オンラインで誰もが議論を見れる」、そのくらいのことは出来るはずだが。

この街・この地に足をつけて住んでいない、どこかの大学教授やまちづくり会社、大手広告代理店が、結局は「地域のまちづくり」を行う現実。

「誰の為のまちづくりやねん」と思いつつ、いつの日か様々な価値観や立場の人たちが、みんなで一体となれるビジョンは捨てずに、やれることをやり続けていこうと思うが、飽きっぽい清水の気持ちもいつまで続くは分かりません。

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