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[自己紹介note]地方で起業するまでのキャリアとスモール起業3年間の実績

はじめまして、松見達也と申します。

福岡で起業して丸3年が経ちました。

法人4期目のスタートを3名の正社員スタッフ・2名の業務委託スタッフとむかえることができ、6人の組織になりました。

このタイミングで「きちんと自分のキャリアと実績を開示しよう!」と思い、このnoteを書くことにしました。


なにをやっているのか

現在、株式会社CUE代表取締役として、地方自治体や地方企業・全国の住宅会社を中心にYouTubeマーケティングのお手伝いや動画制作をしています。

これからの時代、規模の大小を問わず、企業や地方自治体がYouTubeチャンネルを所有する時代になっていくと思います。そのサポートが主な事業です。

YouTubeマーケティングの力で顧客が求める成果を確実にあげること、顧客・社員・関わった人全員が良いと思える実用的なクリエイティブ(制作物)の提供を信条に仕事をしています。

YouTube事業が弊社の大きな柱のひとつです。もう一つの柱として、ローカルメディア運営事業を展開しております。

福岡のとある地域を対象に情報発信をしており、「過去の自分」と「得意なこと」をかけ合わせて生み出した事業です。後述しています。

手前味噌ですが、私はこんなことを得意としています。

得意としている仕事

エコワークス株式会社さん|YouTube戦略伴走支援について、インタビュー取材時の写真

1,YouTubeマーケティング戦略策定(企業のWeb戦略に応じてYouTube動画の企画戦略を正しく設計すること)

2,コンテンツディレクション(企画戦略を実行するフェーズで、企業ブランドを毀損しないコンテンツ制作を進行・運用していくこと)

3,ライティング(企業の魅力を引き出すWebライティング、テキスト情報の共有で顧客にストレスを与えない業務進行)

4,新規事業構築(0→1が好き)

5,新規顧客開拓と既存顧客対応(徹底的に顧客の心理を考えたコミュニケーションが強み、人間関係構築を基盤にした顧客対応をすること)

ちなみに、現在請け負っている仕事は下記のとおりです。詳細はぜひホームページをご参照くださいm(_ _)m

現在、請け負っている仕事

西鉄車体技術株式会社さん|YouTube立ち上げ支援を終えた後の写真

1,福岡県にある地方自治体のシティプロモーション業務(市場調査・企画戦略・動画制作・SNS運用・写真撮影・地元企業を巻き込んだコンテンツ制作)

2,地方企業のYouTubeマーケティング支援およびチャンネル運用業務(各企業の目的にあわせて、YouTube動画の企画提案〜動画制作〜数値分析まで)

3,10社以上の住宅会社のYouTubeチャンネル運用業務(住宅会社に特化したYouTubeチャンネル運用サービスをリリース、全国トップの実績をつくる)

4,県立高校や老舗旅館のPRムービー作成(記念動画や採用動画など、ひとつの目的達成のための動画制作を実施)

5,地域密着型のメディア運営事業(SEOコンテンツ・SNS運用を駆使し、地域密着型のメディア運営をおこなう)

6,福岡県古賀市JR古賀駅西口の活性化ビジョンを実行していくためのまちづくり会社『株式会社ヨンダブルディー』を設立(取締役)。

良くも悪くも好奇心旺盛な私の性格がゆえ、いろんなことにチャレンジしている途中といった感じです!

これから、私が独立まで、どんなキャリアを歩んできたのか?を書き連ねていきます。バラバラなように見えて実は一本の矢が通っているように感じています。

やっぱり、過去の自分で現在の自分がつくられている。

これから独立して事業をつくっていきたい20代・30代のみなさんには、参考になる部分があるかもしれません。

それでは、私がどんなキャリアを歩んできたのか、もしお時間に余裕のある方がいらっしゃれば、お読みいただけるとうれしいです。

キャリア前半(1年目〜3年目)社会人の基盤をつくった三年間

社会人1年目〜3年目までのキャリア前半のダイジェストは以下です。

・新卒でオフィス家具メーカーの建材事業部に配属
・部署でも恐れられていたパワハラ上司と超仲良しな関係を築く
・中目黒のワンルームマンション購入に向け動き出すも、失敗

私は大学院を修了後、オフィス空間をデザインするオフィス家具メーカーに就職しました。

2017年31歳で独立するまで、この会社でキャリアを築くことになるのですが、ちょっと変わった経歴を持っているので順を追って説明していきます。

▼新卒でオフィス家具メーカーの建材事業部に配属

私が就職活動をしていた2010年・入社した2011年は、リーマンショックの影響で就職活動に苦戦する学生が多い年でした。

大学院に進学する前、学部卒業で内定をもらっていた企業に就職しておけばよかった…そう思うことも何度かありました。

就職に対する私の考えは、とにかく名が売れている大企業に就職することでした。地場の中小企業への就職は微塵も考えておらず、やりたいことよりもとにかく大企業に就職することを優先しました。

私が就職活動をしていた十数年前は、起業や副業などの情報が今ほど溢れておらず、「大企業に就職したい」と考える学生は多かったです。

その結果、就職と同時に上京することに。大好きだった福岡を離れることになりました。

大好きだったとは言え、地元に残りたいとか変な未練があったわけではなく、東京での新生活にとてもワクワクしていたのを覚えています。

無事に入社し、配属されたのは建材事業部というところでした。ここでは、オフィス空間に必要な建材商品(主にパーティション)の設計・手配・監理業務をおこなうことに。

東京・築地にあるオフィス1フロアに100人ぐらい勤務しているうちの一人でした。やりたいことよりもサラリーマンとしての実績を積むことだけを考えながら働く日々を過ごします。

▼部署でも恐れられていたパワハラ上司と超仲良しな関係を築く

20代前半の私の強みは大人の懐に入ることです。自分で言うのもなんですが、上司と仲良く人間関係を築きながら仕事を進めていく能力は高いです。むしろその能力しかありません。

年齢が倍以上離れている当時の上司は、典型的な体育会系といいますか…とにかく「怖い」といったイメージが先行する人でした。

(あまり大きな声では言えませんが…部下を蹴ったり頭を叩いたり…普通におこなわれていました。あと、そもそも声が大きいのでそれだけでびびっちゃう若手もいました)

いつかの冬、東京練馬での夜間仕事を終え、深夜2時ごろから朝までその上司とウィスキーを飲み明かし、男の仕事について語りあうという、まわりの若手からしたら絶対にやりたくないと思ってしまうことも、私にとっては苦しい時間ではなく楽しい時間でした。

当時の人付き合いでの学びが、現在の人間関係を基盤にした顧客対応に活きています。

▼中目黒のワンルームマンション購入に向け動き出すも、失敗

入社して3年が経過したタイミングで、中目黒のワンルームマンションを購入しようと動きだします。

私が就職を大企業にこだわったのは、サラリーマンとしての信用を最大限利用したかったからです。

(※サラリーマンとしての信用を最大限に利用という部分は、いつかまたどこかで実体験を記事にしたいと思っています。)

不動産を探し、日本政策金融公庫川崎支店に打診。見事に散りました。それはそうですよね。入社三年目の若造にお金など貸してくれるわけありません。

ただ、このタイミングで行動を起こしたことは後悔していません。若かった分、いろいろと学ぶことも多くありました。このあたりもし興味がある方は個人的にお話しましょう。失敗談をたくさん共有できると思います。

キャリア後半(4年目〜7年目)独立への準備と行動をはじめた四年間

社会人4年目〜7年目までのキャリア後半のダイジェストは下記です。

・入社4年目で昇格試験、5年目で昇格
・先輩社員として新卒採用面談や事業説明会をこなす
・墨田区に1DKのマンション購入
・事業用太陽光発電を購入
・副業でアフィリエイトを実践しマーケティングを学びはじめる

▼入社4年目で昇格試験、5年目で昇格

入社以来、配属された事業部で淡々と仕事をこなしていた私は4年目で昇格試験を受けることに。同期で一番早い4年目での昇格。

当時は、部署で与えられた業務に加え、新卒採用面談の対応や、労働組合の役員を努めていました。昔から、みんながやりたがらないようなことを率先してやる性格というか…自然とその役回りをこなすことが多かったです。

そして、昇格試験・新卒採用面談・労働組合の役員をするようになってから会社の見え方が変わりはじめます。

それと同時に東京で働く違和感に気づき始めるのです。

「なんで自分は東京で働いているんだろう?」「この仕事はお金のための仕事であって、本当にやりたいことではない…?」と何度も自問自答していたのを今でも覚えています。

あの頃から5,6年が経過して、自分の性格や才能の面で気づいたことがあります。

昔からなぜか人がやりたがらないような(めんどくさい)ことを引き受ける性格でした。でも、のちに、この部分が自分の才能であることに気づくのです。

▼東京に1DKのマンションを購入

東京で働く違和感に気づき始め、独立して事業を展開していきたい思いが強まるものの、準備が足りていません。

独立への準備の一環として、29歳のときに、賃貸・売却を前提とした自宅マンションを都内に購入。当時、横浜のアパートから往復3時間かけて通勤していた時間を片道30分に短縮。往復で2時間の時間をお金で買ったような感覚です。

▼副業でアフィリエイトを実践しマーケティングを学びはじめる

東京にマンションを購入して手に入れた2時間の時間を有効活用し、副業をスタートさせます。まずは最低限のお金の不安を消さない限り独立は不可能だと考えました。

当時は脱サラフリーランスブームの全盛期。仮想通貨の盛り上がり第一波のときでした。

私はブログビジネスをきっかけにWebマーケティングを学びはじめます。当時、ブログやSNSでお金が稼げることをまったく知りませんでした。自分の書いた記事が資産になって、売上が増える仕組みの構築ができることを知った私に衝撃が走ります。

ブログビジネスによる副業で種銭をつくれることに気づいてからの行動は爆速です。ブログ・マーケティング・SNS運用・アフィリエイトの本を多読し速攻で行動しはじめました。

ここで当時読んだ本を紹介しようと思ったのですが…、時代の変化とかもありますので、今の私がおすすめする本が知りたい方はTwitterでDMください。ブログを起点にビジネスのきっかけを掴みたい人にとっては、参考になるかもしれません。

▼事業用太陽光発電を購入

東京にマンションを買う、通勤時間を短縮させて副業をはじめる、独立準備のさいごは事業用太陽光発電の購入です。当時30歳。

会社員をしながら、売却を前提としたマンションを購入し、副業で稼ぎながら、事業用太陽光発電を購入するというのはちょっと変わった経歴ではないでしょうか。

このまま安定した収入を得られる会社員を続け、不動産投資の知識をつけながら、副業の収入を伸ばし、売電収入を確保する、という選択肢も当然あったわけですが、31歳の私は迷うことなく起業を選択。

なぜ、安定した会社員生活を捨て独立したのか?

なぜ安定した会社員生活を捨て独立したのか?その理由は以下の通りです。

(1)自分の将来が容易に想像できる環境に嫌気がさしたから。見え透いた将来に向かって淡々と生きること自体が、これからの時代とてもリスキーだと判断。

(2)独立してもやっていける!という根拠のない自信と、独立準備をきちんとおこなったから。

(3)ひとりの人間として自分のビジネス戦闘力を試したかったから。大企業の看板を外し、一個人としてどこまで通用するのか?会社員時代の成果は本当の自分の成果ではないのでは?僕にはなにができる?が懐疑的だったから。

どうせ起業するのなら、育ったまち福岡で起業しようと思い、福岡県古賀市にUターン移住します。

起業前半(思い通りの未来をつかめず大苦戦)

2017年末で退職し、2018年1月から福岡で暮らし始めます。31歳で12年ぶりの実家ぐらしです。しっかり準備をして独立したつもりでしたが、起業前半は思い通りに収入が伸びません。

起業前半はアフィリエイト・ブログ・代理店ビジネスで売上をたてようとしていました。アフィリエイトとブログは日本にいなくてもできるため、時間を見つけては海外を飛びまわる生活。

当時、海外ノマドワークが流行っていて自分もそんな生活がしたいと思い即実践。一年ぐらい海外と日本を行ったり来たりする生活を続けてみて、飽きました(笑)

飽きた理由は売上をつくれなかったからです。それと、人間関係を基盤に仕事をすることが得意だった私は、Webの世界でのみ生きる自分に違和感を覚えました。

自分の素質を理解した事業展開ができておらず、どれだけやっても売上が伸びていく気配すら感じません。

▼ローカルメディア事業スタート

独立二年目の春(2019年5月)ごろにローカルメディア事業をスタートさせます。実家がある福岡県古賀市のローカルメディアの運営です。

運営しているローカルメディア:古賀マガジン

古賀マガジンは、「育ったまちのなにかお役に立てないか」「地域活動を基盤にビジネスを成長させたい」との考えのもと立ち上げました。どんなビジネスをおこなうにせよ、いちばん大切なのは集客だと判断し、先に集客メディアをつくろうと考えたのです。

正直な話、別にバックエンドはなんでもよかったです。時代によってやりたいことは変わって当然だし、なによりもバックエンドに縛られたくないという気持ちが強かったです。だから、なにを提供するにしても必要な集客媒体を先につくろうと考えました。

古賀マガジンをはじめて一年半が経過した2020年9月30日に、福岡県古賀市の田辺市長に意見交換の機会をいただきました。

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(写真中央)福岡県古賀市の田辺市長

これを機に、ローカルメディア事業とYouTube動画制作事業を一気に加速させます。

起業後半(着実に売上を増やす)

起業後半とはいえ、現在4期目なので独立後3年目のフェーズです。ローカルメディア事業に加えYouTubeの動画制作事業をスタートさせます。

アフィリエイトやブログの経験から、ただの動画制作ではなくYouTubeマーケティング支援サービス(動画制作とマーケティング支援のセット)を企業向けに提案していきました。

海外ノマド時代に動画発信をしていた経験と、これまでのWebマーケティングスキルをかけあわせた新事業です。

古賀マガジンを集客媒体とし、まずは地元企業のYouTubeマーケティング支援で結果を残します。

この結果が前述した住宅会社のYouTubeチャンネルで全国トップ実績をつくったことです。

それから地方自治体のシティプロモーション業務委託や県立高校のPR動画制作・住宅会社に特化したYouTubeマーケティング支援サービスの展開で売上をつくっています。

起業3年目あたりから徐々に安定した売上をたてられるようになり、現在にいたります。

以上が私の約11年のキャリアです。

11年のうち、前半は会社員としてのキャリアの積み上げ方、残りの期間は地方スモール起業の実績を公開しました。

入念に独立準備をしていたとは言え、起業してからの2年間は苦しい期間でした。

でも、経験したからこそわかったこともあります。

起業して3年目で売上をつくることができた、たったひとつの理由をさいごにお伝えします。

起業して売上を増やす唯一の方法

このnoteは松見達也の自己開示を目的に書きはじめたものですが、私が地方起業3年目で売上をつくることができた理由について少しお話させていただきます。

起業を考えたとき、まずどこを舞台にしてなにをするかを考えるはずです。そしてそのときに必ず議論になるのが、東京がいいのか?地方がいいのか?といった議論です。

私は地方を選択しました。が、結論そんなことはどっちだっていいです。

インターネットで起業について検索してみるといろんな情報がヒットします。

人はカタチないものに夢を見るけど、夢を見て売上をつくれるほど現実世界は甘くありません。

私が考える「起業して売上をつくる唯一の方法」は、すべての誘惑を断つことです。

これは事業をつくってみてはっきりとわかりました。誘惑に負ける人は売上をつくれていません。

情報交換とか人脈づくりとか無駄な飲み会とか、自分にスキルがないうちはそんなことをしていても1円にもなりませんし、本当の実力者からは相手にもされません。ボランティアとかみんなで仲良くとかそういった甘い考えも排除すべきです。

これから独立して事業をつくっていきたい20代・30代の方は、まずは徹底的に誘惑を断つことからはじめてみるとうまくいくと思います。

誘惑を排除し、深く考え、行動を起こす。これだけです。

こんな私ですがYouTubeマーケティング領域で力になれることがあればお気軽にご相談ください!

お仕事だけでなく、これから自分で事業をつくっていきたい方もなにか力になれそうなことがあればお気軽にお声がけください!

こんなまとまりのない文章をさいごまで読んでくださっている方はいないと思いますが、(もしいらっしゃれば)本当にありがとうございます!

またどこかでお会いしましょう。

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