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「ソウル・ライターの原点」、「平間至展」へ行ってきた。

渋谷ヒカリエで開催中の
「ソウル・ライターの原点」に宣言通り行ってきた。

「高名なユダヤ教の学者の家に生まれた彼は後継として期待されていたが、10代の頃から絵画や写真への情熱が芽生え、それが自分を解放できる新しい世界だった。画家になる夢を断固された父親と決別し、一人でNYへ移り住んだ」とまず目に入ってきた彼の紹介文に胸を打たれた。

どうしてこうも成功者には”逆境から立ち上がる”構図が多いのだろう。
その逆境の中で自分の意志を貫こうとする時点でその人は既に勇ましくって、大概の人は自分の意志とは異なる道だとしてもそれを受け入れてしまうのがパターンだからなのか。その前に、それが自分の意志と異なっていることに気付かぬまま、今見ている景色が自分が見るべき景色なんだと思い込んだまま進んでいるパターンもあるかもしれない。

入って5分でこんな思考が脳内再生されて次に進めなくなってしまった。

やっとの思いで進んだ次のブースは、彼が写真を本格的に撮り始めた50年代の白黒写真。彼が街を歩きながら撮ったのであろう、道ゆく人の背中や横顔、ポストだったり、ビルの上から見下ろした写真だったり。もう少し進むと、同じく絵画や写真を撮っていた仲間と出会い、それをきっかけにファッション誌の写真を撮っていた時代に移っていった。

今でいうVOGUEのような高貴でレトロなファッションに身を包んだモデルの女性達の何気ない瞬間や少し斜めを向いた顔が綺麗におさめられていた。

そして、絵画のブースへ。
「絵を描いてなければ、もっと良い写真家になれたかもしれない。写真を撮って時間を無駄にしなければ、もっと良い画家になれたかもしれない、と考える時もある。結局、どちらもやってしまった。」

その言葉は今の私を確実に勇気づけるものだった。
“本業も興味のあることに従事しているんだけど、他にもやりたいことがあるからそれぞれに割く時間を50:50にしたい。”
そんな思いから、今秋から働き方を変える予定である。
一般的に見たらどちらかに集中する方が良いのかもしれない。
だけど、色々なことをしたい私にとってはその時間の使い方が正しいと判断をした。「結局、どちらもやってしまった。」がよく似合う。

そんなソウル・ライターの生い立ちにも大変共感しながら、
作品を鑑賞していて気づいたのは、どの作品も50年代、60年代のモノとは思えず、現代アートでも違和感のないモノだということ。
きっと、ソウル・ライターの写真の構図だとか絵のタッチが色々な人のインスピレーションに繋がって、私みたいな芸術素人にもすぐに魅力的だと思わせるモノだからこそ、今でもその構図が継承されているのだろう、と推測する。

同時開催の平間至展にも足を運んだ。
タワレコの「NO MUSIC , NO LIFE」は有名だが、まさか私が昔から好きなSPEEDや安室奈美恵のジャケット写真を多数手掛けていたとは露知らず…。SPEEDのアルバム「Starting Over」のジャケット写真は当時彼女たちが憧れていたTLCの映像を流しながら撮影をし、それを見る羨望の眼差しを写し出したと知る。特別な小道具や背景がなくても惹き込まれる写真でオリジナリティがちゃんとあるから不思議。でも、それには緻密な計算とかその味を出すためのスパイスなんかもしっかり加えられていたりして、ただただシャッターを押すのではなく、組み立てられているのも面白かった。

写真撮影禁止だったので拾い画像

前回の今井俊介さんの「スカートと風景」に続き、作品や作者のストーリーから良い学びを得ることができている気がしている。今までは本を読む事でこの楽しみを得ていたが、これからは直接作品を目にすることで得ていくこともしていこう。

どちらかというとインドアだった私だが、
少しアウトドアへの道のりを歩み始めたのかもしれない。

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