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noteにおける信用

僕が密かに注目しているクリエイター、伊藤 静代(いとう しずか)さんが面白い企画を始めたので僕も乗ってみることにします。
ちなみに伊藤さんはこんな人です。

さすがに編集者だけあって美しいクリエイターページですよね。
お書きになっている記事は呟きだったり、ショートエッセイだったりするのですが、誠実な人柄がにじむ良い文章ばかりです。ぜひフォローする事をオススメしておきます。

さて、お題は

です。

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信用ってなに?

ところで" 信用" ってなんでしょう?
いつもの通り、定義から入ってみましょうか。
……と思って僕がいつも頼りにしているウィキペディアを紐解いてみます。

ウィキペディアには「信用」という見出しの百科事典記事はありません(タイトルに「信用」を含むページの一覧/「信用」で始まるページの一覧)。
代わりにウィクショナリーのページ「信用」が役に立つかも知れません。

うお。項目がない。マジか。
仕方がないのでウィキペディアに指示された通り、ウィクショナリーで言葉の定義を調べてみることに。
ウィクショナリーによれば ”信用” という言葉の定義は次のようになるようです。

1. 信じて任用すること
2. 相手の言葉を間違いないと見込んで頼ること
3. それまでの業績などから人や物に対して与えられる評価
4. 支払能力があることを土台にして成立っている、貸借関係

さて、こうなるとnoteにおける信用とは2.と3.を考慮する事が近道っぽいですね。
noteはただのSNSですから誰かにお仕事お願いするだけのために使う訳じゃないし、ましてやお金借りるなんて関係ない。

そういう訳でちょっと考えてみたのですが、僕は2. の ”相手の言葉を間違いないと見込んで頼ること” という立場を深掘りすることにしました。
3.の "それまでの業績などから人や物に対して与えられる評価" については伊藤さんご自身がすでにかなり深掘りしています。
いつも定刻に記事が上がる、予告通りに記事が上がる、コメントバックがマメ、毎日記事が上がる。いずれも確かにnoteにおける発信者の業績ですし、それが信用に繋がるというのも頷けます。

ちなみに3. の深掘りの方向性でnoteの外での業績を勘案するという考えもあるとは思うのですが、正直に言って僕はその立場を取りたくない。だって社会的地位なんて表現者にとってはどうでもいいし、作家やエッセイストやあるいは経営者の業績だけで信用を測るというのもなんか切ないじゃん。
参加者がみんな対等の立場で交流できるものがSNSだと思った場合(あくまでこれは僕が考えるSNSの姿であって、全ての人が同意するものではないということは重々承知しております)、こっちの考え方はとりあえず横に置いておいて良さそうです。

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相手の言葉を間違いないと見込んで頼ること?

まあ、ウィクショナリーの定義に従ってまずはここを深掘りしてみましょうか。
相手の言葉が間違いないということはつまり、文章メディアの場合はその人が誤情報を発信しないことと同義です。
間違った事を書かない。
小説でも、エッセイでも、あるいはハウツーでもなんでもいいのですが、間違った情報、あるいはデマを発信・拡散してしまう人は信用なりません。
文章は形として残ってしまいます。友達と話しているときなら「てへっ💖」で済むことでも、文章の場合そうは行きません。

じゃあ何をもって間違っていないと判断するのか?

これ、実は判断が読者に委ねられてしまいます。デマでもその人が間違っていないと思い込んでしまったら、それはその人にとっては真実なのです。
ですから、記事を書くときは必ず裏をとって欲しいと思います。特に金銭や健康が絡む記事の場合は必ず裏が取れていて、それをちゃんとエビデンスとして書いてくれている記事を僕は信用します。

まとめると、信用されるためには
✅ 書いたことには責任を持つ
✅ 書く前にちゃんと十分な調査を行う
✅ 裏が取れない情報は発信しない
✅ 間違っていると指摘されたら誠実にそれを認める
という事を心がければいいのではないでしょうか?
これを忘れなければ少なくとも記事の信頼性という点では信用が得られると思います。

noteにおける信用を考えてみよう

ではnoteにおける信用ですが、僕の取る立場はこうです。

読者の期待に答える

読者の期待とはすなわち

✅ その人の記事を読むとためになる
✅ その人の記事は読んでいて楽しい
✅ その人は誤情報を発信しない

って事なのかな?
これはウィクショナリーの定義『相手の言葉を間違いないと見込んで頼ること』からは少し離れてしまうかも知れませんね。上は僕が思う書き手としての立場です。
noteがメディアである以上、そこには必ず対価がなければなりません。対価とは読者に対する対価です。それが満たされて初めてサポートが意味を持ちます。
読者はnoteの記事を読んでいるときに多少なりとも時間を使っている訳です。それに対する責任を負っているという点を発信者は多少なりとも意識するべきだと思います。

3番目の『誤情報を発信しない』という点についてはもう上の方で触れました。
ここからは特に「ためになる」という点と「楽しい」という点に注目したいと思います。

じゃあnoteでの信用=エンターテイメントなの?

これに対する僕の答えは「YES」でもあり「NO」でもあります。
エンターテイメント性がなくても信用に足る発信者はたくさんいます。ただ、人の時間を頂く以上、それに見合うだけの何かを与えないといけないのは確かで、発信者としてはその気持ちを持っているかどうかが一番重要でしょう。

noteは自由なメディアなので、何を書いてももちろん構いません。独り言でも問題ない。そして、独り言でも信用に足る記事はたくさんあります。
例えば僕はこの人の記事には強く共感しているし、信頼してもいます。

この方、どうやらお医者さんなのですが、なんとフォロー3、フォロワー2です。でも記事は素晴らしい。
ご自分では自分用と謙遜なさっておられますが、おそらく何か伝えたいことがあるのでしょう。そういう気持ちを持った人の記事は面白いし、信用できると思っています。
人に何かを与えたい。頂いた時間にはちゃんと報いる。
僕が重要視する信用はこの点です。

ためになるという点では新しい知識でも、あるいはうんちくでも構わないと思います。それは銃器の知識でも音楽の知識でもお料理の知識でもなんでも構いません。
ただ、これが備忘録なのか、ちゃんとした作品なのかは違うと思うのです。
備忘録なら、正直メモでも構わない訳で、特にSNSで公開する意味はない。
無論それがダメだとは言いませんし、そういう使い方もありますが、記事なのかどうなのかと聞かれれば?です。人に読ませるための記事でないのであれば、信用とはちょっと次元が違うかなと思います。

もちろん、エンターテイメントでもそれは同様です。読み手を意識して書かれた物語とただの寝言は読めば判ります。

僕が思う信用とは、一言でまとめればちゃんとした品質な作品(文章でも、音声でも、映像でも)を提供したいと言う意志を持っているかどうかだと思います。
品質自身はどうしても技術ですので、それはバラけてしまうだろうし、それに関しては実のところ仕方がない。でも現状に甘んじないで少しでも向上したいと思っている人を僕は高く評価したいし、信用するという点でも向上心を持っている人を信用します。
逆に現状で満足してそれ以上向上しようとしていなければ……はたしてそういうクリエイターは本当に信用できるのでしょうか? たとえその人がどんなに上手であったとしても。

最後に

なんか書いている途中で多少方向性がブレましたが、僕が思うnoteにおける信用とはこういう事です。
✅ 時は金なり。少なくとも記事を読んでいる時間分は読者を楽しませる事
✅ 読者に誤情報を与えない事
✅ 読者を豊かにすること(物理的にも精神的にも)
✅ そして常に進歩しようとしていること

どうでしょう? 伊藤さん、これで僕は伊藤さんの疑問にちゃんと答えているでしょうか?

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