働き盛りの人間が脳出血で倒れるまで
「デジタうトランすフォーメーションをうってます。」
正確には、「デジタルトランスフォーメーションをやってます。」IT業界で流行っていることばのひとつだ。「初めまして。あなたは何をやっているのか教えてください」という言語聴覚士(ST)からの質問。
『「デ ジ タ ル」ですか?』余りにも長い時間掛かるゆえに、STがノートに書き写す。『つぎは「トランスフォーメーション」ですね?』「では、どういう仕事内容なのか教えてください」
わずかこれだけのことをいうために、流れでる脂汗、緊張感そして時間。長い時間。。。
頭で分かっていても言葉にならない。
このNoteは、IT業界で約20年の経験を持つ筆者が、脳卒中(私の場合は脳出血)になり、その経緯と現在の対処方法を記したものです。とくに、失語症という、あまり聞き慣れない病気に罹り、現在進行形の対処の方法について記載しました。
1.プロフィール
この文章を書いている、達也と言います。年齢は46歳です。仕事は主に外資系のITベンダーを中心に複数社巡って来ました。直近では、事業会社でデジタルトランスフォーメーション(DX)の仕事をやっています。
さて、46歳で脳卒中というのは若い部類に入ると思います。事実、わたしが5ヶ月も過ごした病院でも、同じくらいの年頃は2人ほどで、圧倒的大多数は、人生の(大)先輩達でした。
今回、なぜわたしが脳卒中に罹ったのか。恐らくその原因は、不摂生とストレスだと思われます。2月に現在の会社に転職したのですが、部長というポジションで雇われました。が、時はコロナ禍の中、例えば人間関係を築いていくにも飲みにも行けず、9•19(発作が出て倒れる日)に向かっていたのが、今から思えば言えることです。
2 聖路加国際病院に担ぎ込まれて
2020年9月19日土曜日。4連休の初日。妻は、少し前から通い始めたストレッチに、娘はもう少し前から通っている極真空手の道場に行っているところでした。僕は、連休前にコンサルティング会社から受けた提案をどのように断るかを考えていました。
ランチは3人揃ってと約束していたところ、まだ娘が帰って来るまで30分くらいのところで、トイレに行ったのが悪夢の始まりでした。。。
トイレの後、どういうわけか、右側から立ちあがろうとすると目眩がするのです。あれ?おかしいな、という事で、左側から立ちあがろうとしたが、コチラでも目眩が。一度冷静になって、「これは危ない」とは考えてみたものも、前のめりで倒れこんでしまいました。不思議とトイレから落ちた衝撃は全く無かったのですが、娘が帰るまで20分もの間、大理石の冷ややかな感触を感じていたのです。
娘が帰るまでの間の時間は、自分の中でも冷静な時が流れていたのを記憶しています。「まず、娘が帰ったら妻に電話をして貰おうか。その前に下着を取って貰わないと。こんな姿を見せたらビックリしてしまうよな。それにしても、なんで右半身が動かないんだろう。」恐らく娘が自分の生命線を握っていて、間もなく帰って来ることが分かっていたからでしょう。
娘が帰ってきました。予想通りあっけにとられています。
娘:「パ、パパ。何をしてるの。」
父:「ママに LINE ででんわしてほしいんだ。パパの携帯へやのなかだから」
娘:「わかった。ん。でも、ママでないよ。」
父:「わかった。パパの携帯取ってくれる。あと、タオルをくれるかな。」
そこから5分ほどして、妻が連絡をしてきました。普段は私はLINEのビデオ通話でかけないことから、妻も何の疑いもなくビデオ通話でかけてきたのです。
妻:「(ストレッチ)終わったよ。ランチはどうする?」
父:「救急車を呼んで欲しい。理由は分からない。」
多少のパニック気味になっていた妻ですが、そこからは手際よく、救急車の手配をしてくれて、その様子の都度ビデオ通話で教えてくれました。一方で私の意識は徐々に遠のいていったのです。
次に意識が戻ったのは救急隊が呼びかけてきた時ですが、この時は、もう自分でも何を喋って居るのかわからないほどです。後ほどわかったことですが、脳卒中の前触れにFASTというものがあり、この時点で自覚があるのが、アーム(A)、スピーチ(S)の2つです。症状1つでも72%、これにフェイス(F)を入れた3つだと85%が脳卒中だと言われています。
次に意識が戻ったのは、佃大橋です。「あぁ、救急車に乗ってるんだなあ。これは聖路加国際病院に向かってるんだなあ。」と思い、救急患者の搬入路を入ったところで、全ての記憶が切れています。この時点で安心したのでしょう。次の記憶が3日後、つまり全ての手術が終わった後になります。
以下は、聖路加国際病院での施術を、次の病院(初台リハビリテーション病院)の先生によって完結に書いたものです。
2020年9月19日トイレ後、立ち上がった際に突然の右上下肢脱力出現し、聖路加国際病院への救急搬送となる。来院時、JCS2、右上下肢完全麻痺、構音障害を認め、頭部CTにて出血了5cc程度の左皮殻出血。同日入院加療開始となる。当初は、保存的加療の方針としたが、翌日のCTフォローにて血腫量30ccまでの出血拡大と運動性失語の出現もあり、9月21日に開頭血腫除去術。
術翌日には、運動性失語は軽度改善し、以降、出血の拡大なく、経過。
さて、次は初台リハビリテーション病院での戦いの様子を書きたいと思います。
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