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たつの物語 第一章 これまでのラグビー人生

初めての投稿です、手始めにこれまでの人生について、紹介していきます。今後はトレーニングの内容やどのようにしてNZに挑戦んすることになったかを少しずつ投稿していきます。it’s now or never.の精神で頑張っていきます。

■自己紹介 

辰野 新之介

1991年生まれ(28歳)

桐蔭学園ー早稲田大学ー東京ガスーBigBlues(練習生)ーNZ Pukekohe Rugby Culb(2月末〜)

■ラグビーとの出会い

中学時代までサッカーを真剣にやってました。将来はJリーガーになるんだと思い、高校は鹿児島実業か野洲高校に入学したいと思ってました(笑)もちろん、担任の先生には反対されて、進路相談では毎回「真剣に考えなさい」と怒られてました。両親や姉も本気では言ってないだろうという感じでした。中学3年生の夏までは本気で県外のサッカー強豪校に推薦で行こうと思ってました。夏を過ぎるとそんなことも言ってられず、勉強をスタートしました【遅すぎる笑】。とにかく高校に行くために必死に勉強しました。だんだん勉強も楽しくなり、調子に乗った結果、第一志望を早稲田実業と慶應義塾と言い始めました(当時から無謀な挑戦が好きだったようです笑)その結果、受験に合格したのが「桐蔭学園」だけでした(繰上げ合格でギリギリ笑)

よし、これで高校サッカーが思う存分できる!と思い、入学式に行ってみるとサッカー部に入部するためにはセレクションがあるということが発覚しました。

「え・・・普通に入れないの?」

セレクションを受けてみるも、50人が受験し3人しか受からないという超絶な狭き門を突破することはできませんでした。(既に推薦で30人近く決まっていたのが実態)

通常、サッカー部に入れない人たちは「サッカー同好会」で週に3回ほどのサッカーをやるという流れでした。

ただ、本気で高校サッカー選手権で国立を目指して入ったのに、、、同好会では納得行かず、

「サッカー辞めよう!」と決断しました。→今思うとよく決断したなと思います

当時の部活の候補はソフトボール、バスケット、卓球でした。スラムダンク大好きだったので、バスケでもやろうかな!と結構ガチで思って時に、

「あ、そういえば父親がラグビーやってたな」と思い出しました。

クラスの隣の席のM君がたまたまラグビー部のエネメルバックを持っていたので、なんとなく

「親父がラグビーやってたんだけど、初心者が今からでもラグビー部って入れる?ラグビーって痛いし、きついでしょ?」と体育に時間に話しかけてみました。

「ラグビーなんてキツくないし、痛くもないよ!!親父やってたならやるしかないっしょ!!」となんとも軽いノリで誘われ、次の日の練習に行ってみると、Aチームは遠征で不在でOBの方が練習を仕切っていたので、本当に「キツくも痛くもない練習」でした。

でも、ラグビーって難しいな、やっぱバスケにしようと思ってた時に、

「練習終わったし、サッカーやる人ーー!?」と先輩が人を集め始め、なんとなく参加しました、前日までサッカーをやっていたため、周りに比べて目立ってしまい、同級生、先輩から名前を覚えられてしまいました。

そして帰り際に「辰野また明日な!」とみんなに言われ

「これは、、、明日も来ないといけないな」

こうしてサッカー少年がラグビー少年に変わっていきました。

まさかあれから10年以上もプレーすることになるなんて笑

次回も、初心者からどうやって試合に出るようになったの?みたいなところを投稿していきます^ ^

ではでは






記事を読んでいただきありがとうございます。 NZで日々感じていること、ラグビーについて書いていきます! 夢を叶えるまでのストーリーをお伝えいたします👍