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「生まれてくれてありがとう」奇跡のような幸せの中で生きている

子どもたちが幼い頃の誕生日は、いつかケーキを前にして、妻が子どもに、
「生まれてくれてありがとう」
と言っていました。

子どもたちの意識はバースデイケーキに集中しているので、気にもしていない様子でした。
私は、そんな言葉をいう妻を「すごいなぁ」と思うものの、自分は言葉にすることはありませんでした。


そんな私が、2人の幼い息子を抱きしめて、
「生まれてくれてありがとう」
というようになりました。

どうしてかというと、一瞬にして自分の気持や考え方が、ガラッと変わった経験をしたからです。


涙が止まらなかった交通事故現場

そのきっかけも、救急出動したある交通事故での体験でした。

見通しのいい田んぼの中の交差点で、軽自動車とトラックの衝突事故があったという救急要請内容でした。

現場が近づいてくると、農道には何台も車が停車しており、田んぼに落ちている軽自動車を並んで見ているヤジウマが見えました。

ちょうど踏切を通過する直前に、警報がなり遮断器が下りはじめました。

「隊長、俺が先行します!」
といい、私は救急車を降りて、遮断器が降り切るまえに渡り、走って現場に向かいました。

たくさんいたヤジウマは、誰一人として道路からおりて車両からけが人を救出しようとはしていませんでした。

私は道路から田んぼに飛び降り、車両に向かいました。

車両には、運転していた母親がハンドルにつっぷしている姿が見えました。
後部のドアを開くと、心臓をギュッとつかまれたような衝撃を受けました。

2人の幼い兄弟の姿がありました。
おそろいの可愛いアップリッケのついたサロペットを着ていました。

母親は意識はなく、荒い呼吸をするたびに口から血液の泡をふきだしている状態でした。
後部座席のお兄ちゃんの方も、意識はなく口から血液が流れていたものの、呼吸はありました。

その隣の弟の方は、すでに亡くなっている状態で、心肺蘇生もできる状態ではありませんでした。

救急車に3人をなんとか収容し、酸素投与して搬送しながら、もう一台の救急車を要請しました。
搬送中に、必死にがまんしようとしているのに、涙がボロボロと流れ落ちました。


2台の救急車で病院に収容しました。

呼吸をしていない弟を、ベッドにおろしました。
顔には傷がなく、可愛い顔をしていました。
私は、思わずその頭をなでました。
(びっくりしたね。怖かったね)
処置室にはドクターやたくさんの看護師さんがいるのに、また涙が止まらなくなっていました。


病院を引きあげ、署に帰る道中、いつもは雑談しているはずの救急車の中は、静まり返っていました。
ときおり3人がハナをすする音が響くだけでした。


署の中で隠れて涙を流す

帰署してからは、まずは次の出動にそなえなければなりません。
泥で汚れた車内や、ストレッチャーを洗い、消毒します。

泥を洗い流すためにストレッチャーをおろし、床を洗っていると、小さな黄色いものが目にはいりました。
拾い上げてみると、よくガチャガチャのカプセルに入っていた消しゴムのおもちゃでした。

あの兄弟のどちらかのポケットから落ちたものに違いありません。
同じ年頃の私の息子たちも、よく買っていました。
あの兄弟と同じように、息子たちがおそろいのサロペット姿で遊んでいる姿がよみがえると、また涙が流れました。


不思議なもので、そんなときに何を思うかというと、自分の息子たちの無事で元気な姿が見たいという気持ちが強くなるんですね。
そうかといって、勤務時間内に帰宅するわけにもいきません。
早く顔が見たいのですが、消防は24時間勤務ですから、翌日の朝まで帰宅できません。

夜になって、自宅へ電話をかけました。
スマホもPHSもない時代です。
電話に出た妻に、子どもたちとかわってもらうように頼みました。
「おとうさんだぁー!」
「おとうさーん!」
そんな声を聞きながら、やっぱり涙が流れてきました。


奇跡のような幸せの中で生きている

翌日の午後、保育園から2人が帰ってきました。
その頃、我が家では「いってらっしゃい」と「おかえり」のときは、いつもハグをしていました。
玄関に入ってきた彼らを抱きしめました。

「おとうさん、痛い!」
思わず抱きしめる腕に力が入りすぎたようでした。

「おとうさん、どうしたの?」
息子たちは、お父さんが泣いているのが不思議だったようです。

いつも激しい兄弟喧嘩をくりひろげ、ほとほと疲れ果てることもありました。ときには「うるさいなぁ」と思うこともありました。いつもにぎやかにそばにいてくれることが、当たり前だと思っていました。

2人を抱きしめていると、あったかい体温が伝わってきました。
呼吸するたびに腕の中で動く彼らの体。


「じゅんちゃん」
と呼びかけると、
「なあに、おとうさん?」
と返事をしてくれる存在。

「りょうちゃん」
と呼びかけると、
「どうしたの、おとうさん?」
と応えてくれる存在。

今まで、目の前にいてくれることが当たり前だと思っていたけど、ほんとうは奇跡のような幸せの中で生きているんだと思いました。

「生まれてくれてありがとう!」
それからは私も、妻といっしょに子どもたちに感謝の言葉を伝えるようになりました。


もしサポートしていただけたら、さらなる精進のためのエネルギーとさせていただきたいと思います!!