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子どもをとことん信じることに決めた朝

子育てに関して、今でも思い出すと後悔することがいくつかあります。
その中のひとつに、子どもを信じてやれなかったことがあります。

長男が6歳のときでした。

その頃、幼稚園に通っていた長男は、毎朝、近所の子ども達と幼稚園に集団登園していました。
集合場所はごく近所のお寺の前でした。
特に決まっていたわけではないのですが、保護者が任意で集合場所の様子を見に行っていました。

ある朝、様子を見に行くと、長男が大声で泣いていました。
同級生のお母さんが、長男を叱っていました。

事情を聞くと、
「おたくの子どもが、うちの子に石をぶつけたんですよ!」
とすごい剣幕で怒鳴りました。

石をぶつける様子を、その母親が見ていたのだと思い、反射的に長男の頬を叩き、
「もう幼稚園は行かなくていい」
と、そのまま家に連れて帰ったのです。

泣きじゃくる長男に「どうしてそんなことをしたんだ?」と聞くと、

「僕はしていない!」
と何度もくり返して否定しました。


なんということをしてしまったんだろう。
ケンカはするかもしれないけど、お父さんに嘘をつく子ではないと思ったので、自分の行動が間違いであったことを悟りました。

長男にしてみれば、何もやっていないのに、友達の母親に叱られているところに、やっとお父さんが来て助けてくれるのかと思ったら、一緒になって怒り、頬をぶたれたわけです。

どんなにつらい思いだったんだろうと思うと、未熟な父親は涙が流れました。

「ごめんね、ごめんね」
そういいながら長男を抱きしめました。

そのあと、幼稚園に行って、先生に事情を話し、その友達に事実を確かめてもらいました。

「ほんとは、じゅん君はぶつけてない」
そう友だちが答えたと聞き、やっていなかったことへの安堵と、自分のとった行動への胸の痛みと、両方を感じていました。

そんなことがあってから、
何があっても、まず子どもを信じていこう
そう思いました。

しかし、頬を叩いた手の感触は何年たっても消えませんでした。
思い出すと、涙が流れそうになりました。
たくさん可愛がってきましたが、それでも、あの手の感触は消えませんでした。


長男が大人になってからそのことを話すと
「俺、まったく覚えてないわ」
と、関心もなげな様子でした(笑)


その長男が中学のとき、学校がとても荒れていました。
運動会になると、パトカーが警備にくるほどでした。

いろんな問題が起こり、何度も何度も保護者の会合が開かれました。
ちょうど長男が思春期で口数が少なくなっていた頃でした。

学校で問題が起こったとき、息子のことをちゃんと信じながら話が聞けたのも、あの幼稚園児のころの出来事があったからだと思います。


私には口数が少なかったのですが、妻には、
「うちのお父さん、友達のお父さんとはちょっと違ってるわ」
と嬉しそうに話したことがあったそうです。

うちのオヤジはちゃんと自分のことを信じてくれていると、そう思っていてくれていたんだと思います。


私の両親も、口に出すことはなくても、ああすればよかったとか、こうすればよかったと、彼らなりに子育てについて悩んだり後悔したのかもしれないなぁ、なんてことも考えることがありました。

親だって間違いを犯します。
親だって迷います。
たくさん後悔もします。

でも、後悔していない部分があります。
それは、子どもをとことん愛したということです。

後悔した部分は大いに反省し、とことん信じることにしてよかったと思うことが、息子たちが社会人になってもありました。

もしサポートしていただけたら、さらなる精進のためのエネルギーとさせていただきたいと思います!!