音楽療法の授業で気づいた父の心
以前、脱サラするとすぐに心理カウンセラーのセミナーを受講するために、鳥取県から大阪に毎週通いました。
カウンセラーになりたくて通ったわけではなくて、妻や私を苦しめた心の病気について知りたいと思ったのが受講動機でした。
たくさんあるカリキュラムの中に「音楽療法」の授業がありました。
自分が音楽をやっているために、特に強い関心があった授業です。
この授業が、父に感謝を言葉で伝えることのきっかけになりました。
受講前には、心地よい癒やし系の音楽を聴いて、傷ついたり疲れたりした心を癒やすのだろうくらいの予想しかしていませんでした。
何度か受講していた受講生仲間から、
「男のほうがよく泣くらしいよ」
と聞いていました。
教室の照明を落とし、マイナー調のBGMを流されたくらいで、さすがに大のオトナが涙を流すなんてことはないだろう、と思いました。
ところが、予想もしなかったタイミングで涙が流れはじめて、自分でも驚いたんですね。
頭の中には、父とのことがモヤモヤと広がっていました。
以下、当時の修了レポートの抜粋です。
音楽を聴きながら、父のことが頭に浮かび、涙が流れました。
たいへんな思いをして育ててくれた母親のことしか浮かばないだろうと予想していただけに、自分でも驚きました。
母にいつもつらくあたり、私たち兄弟にも怒ってばかりだった父が憎くて、中学生の頃には口をきかなくなりました。
高校生のときには、母に手をあげようとした父の胸ぐらをつかんで殴りかかったこともありました。
そんな父のような父親になるまいとして、私はずっと子どもに接して来ました。
暴力はふるわず、こちらの意思を伝えるときには、ちゃんと子どもの目線の高さで、目を見て話すようにしてきました。
学校の行事にも参加し、子育ても夫婦で協力してやって来ました。
反面教師としての存在であることには感謝はしても、自分の中では父は大切な存在ではありませんでした。
音楽を聴いているうちに、ずいぶん昔に見た父が若かったころの写真が脳裏に浮かびました。
今の自分より若かった頃の父は、口うるさくて暴君だったが、女遊びをするわけでもなく、ギャンブルに入れ上げることもなく、酒におぼれることもなく、毎日残業・残業で大変だったんだろうなぁ、と突然思いました。
口を開けば勉強しろと、あんなに口うるさかったのも、会社で学歴がなくて冷遇されたくやしさを、子どもには味あわせたくないという思いからの言葉だったのだと思いました。
何か言っても「えっ?」と何度も聞き返してくることに、若い頃の私はカチンときていましたが、爆音のするプレス工場でずっと働いて、耳も聞こえにくくなっていたせいなのに、と思いました。
表現方法はどうあれ、私のことを愛していてくれていたことに間違いはなかったと、素直に思えました。
父も、私と同じように仕事で悩み、人間関係でも悩み、両親や妹たちを養いながら必死に生きていたことに気づくと、涙と鼻水が止まらなくなりました。
以上が抜粋ですが、この修了レポートを、学校の修了パーティーで全員の前で読むことになりました。
予想外に多くの人が泣いているのをみて、親との関係に悩んだ人は少なくないんだと思いました。
考えてみればその授業が、
「育ててくれてありがとう」
と父に、言葉にして感謝を伝えるきっかけになりました。
その後、父とはすっかり仲良くなりました。
その父も今年97歳になり、つい先日、肺に影が見られると医師から知らされましたが、なんとか100歳まで生きて、母の元にいってくれるように祈る毎日です。
もしサポートしていただけたら、さらなる精進のためのエネルギーとさせていただきたいと思います!!