見出し画像

父のことを僕はなにも知らない

中学生の頃から嫌いで、私が社会人になるまで口論ばかりしていた父は、この夏で97歳になりました。

社会人になり、私の子どもたちが生まれると、親のことも考えるようになりました。

10年前、父に
「育ててくれてありがとう」
と、勇気を出して伝えたことがあります。

息子たち家族も、父の顔を見に実家によく行ってくれています。
ひ孫の顔を見ると大喜びの父を見て、私が喜ぶという構図になりました。

父は耳が遠いのですが、それでもよく会話をするようになりました。

そんな日々を送りながらも、私は父のことを、父の人生をまったく知らないことに気づきました。
そんなモヤモヤを解決したいと思うようになりました。
私自身も、心の整理を心がけながら生きていかなければ、と思うようになったんですね。


お前たちが幸せそうなのが一番嬉しい

息子家族が、長男の宮参りをした日に、お祝いをしました。
90代になっても毎日晩酌を欠かしたことのない父は、とてもうれしそうに祝い酒に酔いしれました。

上機嫌の父を、車で実家に送るとき、ふいに父がいいました。

「お前たちが幸せそうにしとるのが、俺は一番うれしい」
ポツリといったそのひと言に、子どもや孫のことを思う気持ちはいっしょだと、嬉しくなりました。

同時に、そんな父とあと何度、家族で盆や正月や祝い事をともにできるのだろうかと考えてしまいました。

いつまでもこうやって元気で過ごしてくれていることが、当たり前だと思っていましたが、いついなくなっても不思議ではない年齢です。

そんな父のことは、家族として過ごす時間以外のことは何もしりません。
戦争のことも、実家に帰るまで、県外のどこでどんなところで働いていたのかも、まるで知りませんでした。

なにせ、口論ばかりしていたので、父の半生に関心など持ったことがなかったんです。


終活に惹かれる

かなり以前からですが、エンディングノートが話題になり、「終活」という言葉も一般的になりました。

終活には、死ぬための準備という面もあるんでしょうが、本人の生きている時間を有意義にするために、今までの人生とこれからの人生を見直す機会にもなる。

そこに私自身もおおいに惹かれるところです。
父に「エンディングニートを書いてみないか」といったとこで、応じるはずがないことはよくわかっています。

それでも、父のことを何も知らないまま、あの世にいってしまわれたら後悔することはわかっていたので、先送りせずにいろいろ聞いておきたいと思いました。

戦争のことや、関西で働いていたことなどを、2人でお酒を飲んだときに聞いてみました。

ずっと心にひっかかっていたことも、聞いてみました。

母が、私を産む前に、お腹にいた子どもを流産したと、ずいぶん前に聞いたことがありました。そのことも聞いてみました。

意外な事実を聞きましたが、あえて聞かなかったら知らないままになっていたところです。
その日から、お墓参りに行くと、ご先祖さまと、この世に誕生できなかった姉にも感謝のお祈りをするようになりました。

父のことを聞くことが、私自身の心の整理になりました。
あとは、子どもたちや孫たちに私の思いを伝えられたらいいなぁ、という意味でもnoteをつづけていきたいと思っています。

なにせ息子たちは、私のリリースしたてのインディーズCDを送っても、封も切らずに本棚に放置していましたから、果たして私の存命中に私の半生に関心を持ってくれるか、はなはだ疑問であります(笑)


もしサポートしていただけたら、さらなる精進のためのエネルギーとさせていただきたいと思います!!