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家族

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いつもたいへんなときに支えてくれる家族という存在について書いています。子育てで悩んだことや、つまの心の病気とのかかわりなど、「自分とこだけじゃないんだ」と思いつつ読んでいただけれ…
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#夫婦

今はいつか思い出になる

十代の頃から、突然時間が止まったように感じて、胸の奥がヒリヒリした切ない気持ちになる瞬間がありました。 停学を言い渡された高校3年生の秋、駅から母とともに、誰も通らない昼間の通学路を歩きました。 中学から続いた私の反抗期は、その頃にはピークを迎えていました。 人に見られると恥ずかしいので、母と距離をあけて歩いていると、話しかけながら近づいて来ようとするので、そのたびに声を荒らげて制止しました。 「すいません、すいません」 と生活指導の教師に頭を下げる母に、 「謝らんでもえ

妻をさん付けで呼んで1年半

「奥さんをどう呼んでますか?」 と、ある経済団体の会長からたずねられたことがあります。 「うちは、『おかあさん』ですね」 と私。 子育て時代を経ると、子どもが巣立ってからも「おとうさん」「おかあさん」と呼びあっている家庭が多いんじゃないでしょうか。 我が家も、例にもれずお互いにそう呼んでいました。 「会長、よく聞くあれですよね、あれ。『奥さんはあなたの妻で、お母さんじゃないでしょ!』とかって叱られるパターンですよね」 と、先回りをして言うと、満面の笑顔でおおきくうな

結婚式で泣いてくれた息子 そして泣いた父

大阪に住んでいる次男の結婚式は、とても暑い日でした。 パーティー形式で会費制というとてもラフな結婚式で、我が家らしいスタイルでした。 参加者の服装も、招待状そのままに平服でした。 「おやじ、一曲歌ってくれ」 と頼まれていたので、ギターをかかえて、事前に作っていたオリジナルを歌いました。 学生時代に住んでいたアパートを引き払い、すでにべつの土地にうつり住んでいた息子夫婦のことを思ってつくった歌でした。 僕らの知らない街で 君たちふたりの暮らしが 始まるよ 始まるよ と

お父さんの力だけではお母さんを元気にできないんだ

「お父さんの力だけでは、お母さんを元気にできないから、俺たちが力をあわせて、お母さんの病気を治してあげよう」 そんなメールを2人の息子に送ったのは、もう15年も前のことでした。 都会の学校に進学して、盆や正月にも帰ってこない時期があった息子たちです。 声が聞きたくて電話をしても出てこない。 メールなら返信をくれるかと思って出しても、返信はない。 たまに、妻にだけ送ってくるメールの文面は、「金送れ」だけ。 そんな彼らの力を借りなければ、もう自分では何もできない、と気持ち