真剣に立ち向かうということ
どのようなことでも、相手が真剣なら、こちらもそれ相応に対応すると思う。
その反対に、こちらが適当だったり、いやいややっていたりすれば、それも相手に伝わり、その程度の対応しかされない。
例えばビジネスで、適当な営業が来たら、門前払いかやはり適当にあしらって商談は成立しませんよね。それと同じ。
本日はポートレートの撮影で事前にモデルさんとは約束はしていた。
約束の時間通りに彼女は来て、ちょっと午前中は歯医者に行っていてまだ少し麻酔が残ってる程度のことは言っていたけれど、それ以上のことは特に話しはしなかった。なので特に気にすることもなくいつも通り撮影を開始。夕刻解散。
しかし後でわかったのだけれど、彼女の歯医者の治療は相当に重いもので、しばらく流血も止まらず、治療費もかなりの額になることを知った。
通常ならば、撮影はキャンセルするはずだ。しようと思えばいくらでも理由は立つ。こちらもそれに不服申し立てはしなかっただろう。
にもかかわらず、プロのモデルでもないに関わらず、彼女は来た。
そして歯痛を理由にあれが出来ないこれが出来ないということも一切なかった。
自分の鈍感さに呆れることは勿論なのだげれど、彼女の真摯な、そしてその情熱に心打たれたことはいうまでもない。
そしてその救いは、いい写真が撮れたこと。
そして撮影中、少なくとも自分は全く手を抜かず、やはり真剣にシャッターを切り続けていたということ。
これがせめてもの救い。
少なくとも本日現在、この撮影には金銭は全く発生せず、激痛を押してまで撮影を行う彼女のメリットは少ない、もしくはないはずだ。
そしてはっきりしているのは、貴重な休日に歯痛を押して時間を割いて、こちらの撮影に応じたこと。
ここはただただ感謝の気持ち。そして本当にどうもありがとう。その強さと信念と愛情をこちらが忘れることはない。
そしてあらためて、自分は真剣に写真に立ち向かうことが理屈抜きに必要なのだと思った。
幸いにして、ここまで手は抜いていない。
これからも、そして倒れるまで、そうすることが彼女の行為に対する唯一の恩返しになると思った。
言葉ではなく行動で。
その行動が相手に訴える。
考えてみると、自分が中国の雑誌に大きく取り上げられ、その年にフォト上海というアジア最大の写真フェスティバルで大々的に展示されたきっかけは、会社を辞めて写真に専念すると当時ブログに書いたことだった。
この記事を見た中国の編集者が自分を招聘した。
そしてフォト上海の展示は成功し、それを見ていた主催者側のギャラリー、ロンドンのBeetles&Huxleyがまた自分の写真を展示したいという具合にうまいこと転がっていったのだった。
つまり、熱意と情熱と行動で、思わぬことが起きるということ。
自分の写真にまつわるあれこれは、全てこれに尽きる。
当たり前だけど、覚悟を決めて真剣にやっているからだ。
今日の出来事であらためてそのことを確信し、そして熱量が伴わなくなったとき、それは写真はやってはいけないのだと、その思いを強くした。
ともあれ、本日のことはあらためて深く感謝。
必ずこのプロジェクトは形にしたいと、その思いはより一層強くなった。
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