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真の親孝行

江戸時代の珍商売を見て気がついたこと

江戸時代後期の天保年間(1830~44)に登場した「親孝行」

『老いた親を背負い「親孝行でござい~」と呼ばわりながら

銭を乞うものだから、「なんだい、感心だね、こりゃ」と感じいった人は男に銭を渡すというもの。』

とある。現代人から見ると随分奇妙ではないだろうか。

これの真にすごいのは男が背負っている老婆が実は親でもなんでもなくただのハリボテ人形だということ。

この珍商売は、本当の親孝行は何なのか、ということを強烈に問う。

親孝行は形式的なものに陥りやすい。

背負っていればそれでいいとなりやすいものだとも思う。

「介護施設にとりあえず、預けておくか、ひとまず世間から見たら親孝行に見えるだろう。」などが世間で蔓延る。

介護施設に預ける余裕のない人は、自分でお世話する。

自分でお世話すると、働けなくて生活が苦しくなってくる。

苦しくなってくると、恩のある親に対して、
『口には出せないことを思う』人もいることは
様々なドキュメンタリーからも明らかである。

心からの報恩なら、苦しいことも嬉しく、楽しくなっていく。
心からの報恩ではないので、どんどん苦しくなるのだろう。

心から行うことは難しい。

そうなると、本当の親孝行とは何なのか。

それはお互いに、人間として生まれてよかったと歓喜できるようにすることである。

お互いに心持ち同じくして喜べるかどうか。

産んでよかった、生まれてよかった。

ということこそ、究極の親孝行ではないだろうか。

2600年前に存在したお釈迦さまはこのように述べています。

『人身受け難し 今已に受く
 仏法聞き難し 今已に聞く』

人間に生まれてよかった!とならなければ、
人生は一体何のためにあるのでしょうか?

人生が何のためにあるのか、ハッキリしなければ、
人生100年時代、虚しく過ぎ去ってゆくのではないでしょうか。

仏教に言われている人生の目的を大事にしたいものです。


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