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新聞社を休職中、なぜMBAスクールへ

はじめまして、現在、夫の海外赴任に伴い新聞社を休職し、幼い子ども2人を抱えながら、中国のMBAスクールで学んでいる、たつみ、と申します。この記事では、新聞社勤めだった私が、どんな経緯でMBAスクール入学することになったのか、書いていきたいと思います。

第2子妊娠中、夫に海外赴任の内示が

それは余りにも突然のことでした。長男を寝かしつけダイニングでくつろいでいたところ、夫が仕事から帰ってきました。「上海に来年赴任だって」。

え・・・・・

私は当時第2子妊娠8カ月。切迫早産気味だったので、すでに産休に入ってました。出産後、約1年の育休を取ったら、また職場復帰しよう。そんな風に考えていたのに。もし家族一緒に住むのなら、幼子2人抱えて、異国の地に行くってことだよねえ? 仕事はどうしよう。一気にいろんな思いが押し寄せ、戸惑い、気づくと私の目からは涙が出ていました。悲しいわけではなくて、ただただ、余りにも突然のことに動揺しました。

赴任期間の目途は5年とのこと。幸い、私の勤める会社には、配偶者の海外赴任に伴う休職制度が設けられていました。育休とこの休職制度を最長で取れば、5年は休める。けど、5年も休んで復職して、居場所はあるのだろうか。。。。

夫からの「MBA取ったら?」

私の夫は、よくも悪くも、とても現実主義。以前から、新聞社のビジネスは近い将来立ち行かなくなる可能性が高いだろうから、何か専門性を持った方がいいのではないか、広報の経験をもっと生かせばいいのではないか、と事あるごとに私に言っていました。(新聞社では、取材記者→編集記者→広報、と各部署を渡り歩いていました)

「上海にいる間に、MBA取ったら?」と私に勧めてきたのも夫。最初は、異国で子育てしながらMBAってどんだけ無理難題を押し付けてくるのか、とむしろ腹が立っていたのですが・・・とは言え、自分の強みがあるとは言えない自覚があったので、休職中に何かスキルアップはしなくては、という思いもあり、「MBA」はその後も私の頭にこびりつくことになりました。

その後、無事に第二子を出産。さらに1か月後には夫が一足先に上海へ渡りました。私たちは実家に身を寄せながら、第二子が生後8か月、上の子が3歳のタイミングで私たちも上海に引っ越しました。最初は部屋を片付けたり、生活のリズムを整えるだけで精一杯。友人もいないし、頼れる親もいないし、夫は毎日帰宅は深夜。孤独でした。

とは言え、慣れてくると上海での生活は、想像以上に便利で快適なものでした。宅配ビジネスが本当に発展していて、アリババグループのスーパー「盒马」は、1日1回の買い物では送料無料で、卵1パックから早ければ30分で届けてくれる。飲食店も、スタバから中華、羊肉串まで、何でも送料わずかで頼める。しかもスマホアプリからできるので、中国語がわからなくても、まったく問題ありませんでした。

同じ年代の子どもがいる日本人家族も周りにたくさんいて、上の子が日系幼稚園に通い始めると、日本人ママの知り合いも一気に増えました。

英語学校での出会い

だんだん生活の基盤が整い始めたころ、中国語の家庭教師レッスンを受け始めたり、中医学の講座に通ったりする余裕も出てきました。中国語も学びたいけれど、英語だってもっと勉強したいな。ふとそんな風にも考えるようになりました。中国語で何かをするにはハードルが高すぎるけれども、英語は蓄積があるから、磨けば今後のキャリアを考えても損はないだろう。

そうして、ネットで探したところ見つかったのが、上海ニューヨーク大学の英語コースでした。土曜日週1回なら夫に子供たちを見てもらって、通えそう。とりあえず、中級コースを申し込んでみよう(あとで上海の「中級」はとんでもなくレベルが高いことを思い知らされるのですが・・・)。そうして、通い始めた英語コースでのある出会いが、私のMBA受験を後押しすることになったのです。

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