見出し画像

BIG MAC

1994年、ラッキーにも1ドル80円だった。
CITYBANKに全て💲に変えて、
いざという時にと、ちゃんと入れて置いた、。

NEWYORK LIFEの最初の4ヶ月かな、
8畳くらいの部屋で、初のシェアの相手は
少し歳上のロシア🇷🇺の男の子。

毎日毎日会話がぎこちない2人も、寝る前にだけは
ウォッカで乾杯してはそれぞれの寝床についた。

さすがに寒い国の風習だけあって、
ストレートのストレッチナヤは、
かなり温まり気付いたら朝☀️だった、。

いまだに、冬はウォッカをロックで飲みたくなる。

そんな日々を終え、NYUに入学するため、
大学附属の英語科に移るころ、

初のマンハッタン92丁目で(遠いな、、)
一人暮らしの物件を見つけた、、。

とりあえず、ソーシャルセキュリティーナンバーと
NYUの🆔があれば24時間🚌も乗り放題だし、と。

色んな物件をみたが、、ロフトで800ドル以下はなかなか無かった。

さあ、😅ヤバいぞあと3日で部屋をでなあかん
となったとき、、


"貴方は、保証人がいないから、1年分今払うなら
800ドルで貸してあげる"と、、

不動産屋さんから電話🤙

良いか悪いかの判断をする時だったが、、勢いで
いざというときの必殺のトラベラーズチェックを
すんなり切ってしまった、、。

(ま、なんとかなるやろ、、)

ほぼ、学費、教材費と、まさかの一撃1万ドル💵
ちょいを払い、、🧟

まさかの急に、、

学業に目覚めたわけでもないのに、
ランチにもいかない、付き合いの悪い帰宅部に
ニューヨーク🗽でなるという、、

急に地下鉄Ⓜ️ものらず、、

90ブロック以上を歩いて学校へ、
バイト探しにのOCSニュースをみながら

朝は🥯ベーグルと☕️99¢が主食の日々、。


そんなある時、、

毎日、ブロードウェイをセントラルパーク方面にいつも通り歩いてると?

なんと、、毎週水曜日だけ
モノポリーのイベントで、、、


ビックマックが"99¢"の看板!

お!っと。

侍ジャパンとて、背に腹は変えられない、。

手持ちの20ドルで、全てビックマックを買った。


当然、その日から
僕の冷凍庫の中は、ほぼ毎週イベント終わるまで
全てビックマック。

それからほぼ毎日、
いつもビックマックを食べながら

"なんとかなるもんだ" と、


90ブロックの距離を、"COBY"と書いてある
SONYのパクリウォークマンで歩く僕は、、


怪しい寿司屋と、
夜のピアノ🎹バーのバイトがきまり、


おそらく、、


ポジティブな完全にニューヨーカーに
仕上がっていたのであった、、。 

つづく、、。


この記事が参加している募集

この街がすき

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?