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眠る

眠れない夜だった。
冬の初めの嵐が来た。
勝手に思うけれども、冬の雨は粒が大きいような気がする。
そして風向きが夏に来る台風とは別のようで、僕の部屋の窓を直撃する。
とても煩い。
こんな天気の日は古傷も痛む。
痛み止めを飲むと眠れるかもしれない。そう思った。
古傷は2年前の3月に遭った交通事故によるものだった。
早朝。信号待ちをしていた自分たちに警察車輌に追われていた車が突っ込んだ。
自分たち…その場にいたのは3人だった。見知らぬ者同士。自分は骨折やら何やらで進学したての大学を一年休学した。ひとりは当時中学生の女の子だった。怪我は大したことなかったが、彼女の上に倒れた四十代の男性がそのまま息を引き取った。その後中学生だった彼女は外に出ることができなくなったという話を聞いた。
僕は毎朝の日課だったジョギングをしていた。
あの日まで、あそこで誰かと一緒になることはあまりなく、女の子も、亡くなった男性とも初めて一緒になった。
たまたま偶然、朝の6時にあの場所にいただけの3人。それが同じ事故に遭遇しながらも全く違う結果となった。
事故そのものより、その結果の違いが怖かった。
立っていた位置なのだろうか?
僕は逃げようとしたが他のふたりはどうしていたのだろう?
わからない。
中学の頃から陸上の長距離を走っていて、トレーニングのために毎朝走っていたが、それきり走ることはなくなった。
脚の怪我も、その他の怪我も回復した。リハビリを兼ねて室内でトレーニングもする。でも、もう、外を走る気にはなれなかった。怖いとかではなく。理由は見当たらない。
車を運転していたのは、自分とあまり変わらない年の男だった。
その後、その運転していた男がどうなったのかわからない。
自分が動けないでいるうちに裁判が終わり、誰かが僕にそれを教えてくれたような気もするが覚えていない。
雨の日は憂鬱だった。
脚や腹にできた傷が痛む。
傷が痛むとどうしても、事故のことを思い出す。
ぶつかった瞬間などは覚えていない。
急にこちらに車が向いた。
ヤバいと思った。
僕の横に亡くなった男性が立っていて、その斜め後ろに女の子がいた。
それしか事故の時のことは覚えていない。
次の記憶は病院のベッドの上だった。
思い出すのは車がこちらに向かっているのに気づいた瞬間の自分だった。
ふたりに声をかけたような気もするし、自分だけがその場から逃げようとしたような気もする。
そのどちらの自分も記憶の中には存在した。
自分がどちらの行動を取ったのか誰も教えてくれない。
その気持ちの悪さは傷の痛み以上に僕を苦しめた。
雨も風も強かった。
心の中のざわつきがそのまま外の嵐となっているようにも思えた。
微かに横顔を覚えているあの人と、水色のスニーカーしか記憶にない女の子。
影のようにずっと心に住み着くのだろう。名前も知らないというのに。
とうに夜半は過ぎている。家族らはそれぞれの部屋で眠っている。家の中からはほとんど音がしない中、起き上がり、机に置いている薬とミネラルウォーターのペットボトルを手にした。
いつでも薬を飲めるように、痛み止めと水とを近くに用意している。
冷たい水を飲み込むと、ふるりと一瞬身体が震えた。
ペットボトルの蓋をしっかり閉めて机に置くと急いでベッドに潜り込んだ。
進学先が地元の大学で、実家から通えてよかったと思ったのは大学に通い始めて間もなくだった。こんな時に本当にひとりだったら、心細いなどという言葉ですまなかったと思う。
薬が効いてきたようだった。
痛みがぼやけて、意識もぼんやりとしてきた。
枕元の時計は2年前まで僕が起きていた時刻をさしていた。
でも、今は眠ろう。
いつも起きる時間までまだ間がある。
嵐の気配を感じながら、僕は目を閉じる。