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隣人(002)

Kさんからのお土産が宅配ボックスに入っていたのは、従兄さんが言っていた1ヶ月後だった。
「インスタントですが、甘いのが苦手でなければ。現地のお茶をとてもよく再現しています」
とメモがあった。
チャイとも少し違うお茶は疲れた時に飲むと何ともいえない温かみを感じた。
お礼を言おうと思ったけれど、Kさんとはなかなか会えないでいた。
小中高と一緒だった友人の結婚披露宴に呼ばれ帰郷したりで、いただいたお茶が半分くらいなくなった頃、ようやくKさんに会えた。
僕が朝のバイトから帰って来ると、Kさんも家に入ろうとしている背中を見かけた。
「Kさん」
呼びかけると、Kさんはゆっくりとこちらを振り向いた。
Kさんはスーツ姿ではなかった。細身のパンツに短めの皮ジャン。全身黒ずくめだけどとても似合っていた。
「お久しぶりです」Kさんは言った。
「お久しぶりです。お疲れ様でしたね。出張」
そう言うとKさんは「あぁ」というように頷いた。
「あ、お土産ありがとうございます。美味しですね。あのお茶」
そう言うとKさんは嬉しそうに目を細めた。
「向こうはお茶を甘くして飲むのが基本のようで。トルコのミントティみたいに食事の後には必ず出るんです」
「へぇ」
「最初は驚いたけど、なんだか飲んでいるうちに癖になっちゃいまして。自分の分も買ってきてしまいました」
そう言ってKさんは照れくさそうに笑った。
「従兄さん。一度だけお会いしました」
「そうですか」
「あまり似てらっしゃらないんですね」
僕は感じたことをそのまま伝えた。
「あぁ…そうですね。お互い母親似なんですよ」
Kさんのお母さんのお兄さんの息子なのだとKさんは説明する。
「まぁ、僕の母と伯父もあまり似てないんですけどね」
そう言って笑うKさんは第一印象より若く思えた。
「エンジニアだと、伺ったんですが…」
「え?」
「いや。あの。1ヶ月も外国に出張って言ってたもので。お仕事何かなぁ?って」
Kさんは「あぁ」と、何か考えているようだった。
「エンジニアと言っても、機械を作るとかじゃないんだ」
Kさんは地下資源の調査・採掘を得意とする「なんて言ったらいいかな?まぁ、舵取りみたいな役だね。映画とかを作る時のプロデューサーとディレクターを合わせた感じかな?」と言った。
「もう採掘は終わったんですか?」
まさか1ヶ月で採掘が終わるとは思えない。
「ううん。これから」
帰ってきて、会社への報告やら準備やら、現地にいなくても仕事はあるのだそうだ。
「大変ですね」
「ありがとう。でも好きで就いた仕事だからね」Kさんは言う。
「キミだって、音楽好きだから続けているんだよね」
好きだけではないのだけれど。
「あ、CD聞かせてもらったよ。僕は3曲目が一番好きだな」
「ホントですか?嬉しいです」
自分も気に入っている曲だったので嬉しかった。
「あと最後の曲。何故かあの曲を聴くと昔住んでいた街を思い出すんだ」
Kさんは言った。
僕はKさんにどこの街か訊こうと思った。が、その前に。
「あのう。よければウチに寄って行きませんか?バイト先から食パンをもらったんです。よければ半分貰っていただけます?」
「え?あ、そうだね。ごめん。長話しちゃったね」
Kさんは恥ずかしそうに笑った。
最初に会った時もやわらかい印象だったが、スーツだったせいか僕とは違う世界の人という印象もあった。だけどこうして話してみるとやわらかい印象そのままの人のような気がした。
「僕、パン屋でバイトしているんですよ。高田さん、あ、店長が時々こうしてパンを持たせてくれるんですが、美味しいうちに食べきれなくて」と一斤の長い食パンを見せた。
「そういうことなら、お言葉に甘えようかな?」
家に入ったKさんはキョロキョロと部屋を見渡した。
「どうしたんですか?」
「作りがほとんど一緒だと思って」
2DKと呼べるだろうか?台所が中途半端に広くてダイニングとして使えなくもない。ふた部屋は襖で仕切られているが家自体は完全防音のようで、僕がギターの練習をしたいと不動産屋に相談したら紹介された物件だった。
外見は古い日本家屋だけど、窓はしっかりと二重になっているし、床には畳がない。僕は友人から貰った収納付きのベッドを収納のある部屋に置き、ラグの上に卓袱台を置いている。
もうひとつの部屋はギター練習専用にしていた。
「すごいね」
3本のギターが並んでいるのを見てKさんは言った。
その部屋にはギターとアンプ、スピーカー。それとは別のオーディオセットがあるだけだった。
「古いのばかりですよ」
僕は言った。
「ところで今日はお仕事じゃなかったんですか?」
さっきからずっと疑問に思っていた。
「うん。有休消化」
Kさんが答える。なるほどバイトにはないものだ。
「ちょっと病院に行ってきたんだ」
「え?」
「耳がね…」
とKさんは言いかけて止めた。
「耳がどうかしたんですか?」
Kさんは「うーん」と少し考えてから「耳掃除に」と答えた。
「耳掃除?」
「やりすぎだって先生が」
Kさんの耳が少し赤くなったような気がした。
「気になっちゃうんだよね。どうしても」
「あぁ…」と僕は頷いた。
「ホントは耳かきしなくてもいいらしいですよね。耳垢の硬い人は」
「言われた」
顔をしかめて答えるKさんは子どものようだと思った。
切り分けたパンを耳の部分で蓋をする。
「最後耳だけになったらチーズをたっぷり挟んでホットサンドにすると美味しいですよ」
「それは楽しみだ」
僕は自分たちのCDを入れっぱなしだったコンポのスイッチを入れた。ランダム再生にセットされていたコンポは最後の曲を再生した。
Kさんは「あっ」というように流れる曲に振り向いた。
少し古く感じなくもないメロディーラインは、メンバーの最年少のベース担当が作った曲だった。
英語の歌詞は僕が。
「海がある街だったんだ…」
そうだ。この曲の歌詞は寄せる波に崩れていく砂の城。
僕が見た景色。
あれは子どもの頃、いつか訪ねた街だった。
曇り空の下。砂浜に寄せる波が砂の城を崩していく。僕が見たときはもう半分ほど形を失っていた。
あの砂浜には僕以外にもいた。僕と同じくらいの少年。
「キミが作ったの?」
少年は「ううん」と首を振った。
それだけの会話で、僕らはずっと崩れていく城を、城を崩していく波を見ていた。
城がもう少しですべて形を失うその前に、僕は父親に呼ばれて砂浜を後にした。
僕は何度か振り向いてその少年を見た。
彼は立ち去る僕を見ることなく、崩れていく城を見ていた。
ひょっとして、あの少年がKさんだったら・・・。
「昔住んでいた街を思い出すって言ってましたよね」
「あんまり覚えていないんだけどね」Kさんは言う。
子どもの頃のことはあまり覚えていないとKさんは言う。
「何だろう?」
ポツリとKさんが言う。
「この音」
Kさんが自分の右耳を触る。
「波の音ですか?」
「波の音?」
「間奏に入れているんです」
Kさんは自分の耳を撫で続けた。
曲が変わった。アルバムの1曲目。
「これもカッコいいよね」
こっちを向かずにKさんは言った。
僕はこちらに背を向けたままのKさんを見た。
右耳にはもう手はない。
ただ遠慮がちにリズムを取っている背中が、あのときの少年に重なるような気がした。