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未投函

苦手なことはいろいろある。
微塵切り。モノを捨てる。天麩羅を揚げる。英単語を覚える。
できないわけじゃない、苦手なんだ。
下手とも少し違うかもしれない。
ましてや嫌いではない。うん。好きでもないけど。
中でも苦手なのは「投函する」。
手紙や葉書をポストに入れる。それだけのことができない。
だから、懸賞や応募が苦手で、最近の「インターネットでご応募ください」はかなり嬉しい。投函する必要がないから。
そうそう。だから我が家には白い皿。あれはスーパーで交換できる。
ポイントを貯めて葉書に貼って、ポストに投函。そして、抽選を待つ。忘れながらでも待つ。せっせとポイントを貯めたというのに、切手まで貼っておきながら、応募葉書はいつまでも鞄の中で、抽選の対象にならないまま、最後は屑籠に投函されてしまう運命なのである。(その際、切手はきちんと剥がします)
所謂「ついでに」で投函できるといいのだけれども「ついで」の場所にポストがない。
むしろ歩いて行けるところに郵便局がある。
でも、投函するためだけには郵便局に足が向かない。
投函は立派な目的のはずなんだけど、足が向かない。
たまたまポストの前を通りかかっても鞄の中の手紙や葉書は忘れられている。
コンビニのレジ前のポストは存在感が薄過ぎる。
コンビニに通販商品を受け取りに行き、長いことレジ前に立っていても、ポストの存在を気にしたことがない。そしてコンビニを出て、駐車場から道路に出た頃思い出す。
「ここで投函できたじゃないか」
せめてあと2分前に思い出してほしいと、自分に思う。

「昔の円柱型のポストならもっと意識できたかな?」
「コンビニの中にそれは流石に無理でしょ?」
「いやいや、道にあるポストだよ」

荷物の発送は集配センターにわざわざ行くのも、それはそれで好きである。好きというのはおかしいかもしれないが「送ります」という意識を改めて確認できる。たとえ中身より高い運賃に舌打ちをしてもだ。
定型外の郵便物を窓口に持って行くのも億劫ではない。
それなのに、単純にポストに入れるだけで済むものに限って、投函できないでいるのは何故だろう?

あの人に書いた手紙も、伝えたかったことも、みんなみんな鞄の中で押しつぶされて。ふと思い出して中を開けて読み返すと「なんか今更だよなぁ」とビリビリ破いては屑籠に落ちていく。
メールやLINEで伝えることもできるし、電話だってできる相手に手紙を書いた理由があったはずなのに、その思いは何処かへ消えて見つからない。屑籠の中にもそれはない。

もういっそ、出さない手紙を書こうかと思うことがある。
でもそれは少し虚しい。
ある日何処かでポストを見つけて「そうだ、手紙を出すんだった」と言って、鞄の中から手紙を出す。少し角がへたった封筒を投函する。葉書でもいい。

そんな手紙をあなたに送っていいですか?