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それは恋に似ているだけ

姉の作った麻婆豆腐を食べながら、いつまで僕はこの美味しい麻婆豆腐を食べることができるのか?そんなことを考えた。そんなことを考えていたらすんごく寂しくなっちゃってさ。向かいに座ってた姉に「どうしたの?」って訊かれちゃうくらい寂しい顔をしていたらしい。
「なんでもない、と言った途端に姉さんに電話が入って。急な取材のピンチヒッターで今日は早くから出掛けて行ったんです」
「取材受けんの?」
「取材する側」
「え?だってお姉さんwebデザイナーさんだよね」
「うん。広告代理店に入社したての頃はいろいろやっていたようで、インタビュアーとしても評価されているみたいで、そこから時々こんなふうに頼まれるんだ」
「へぇ。すごいね」
今日明日で取材を予定していた担当が急遽ダウンで、姉はピンチヒッターを頼まれたのだった。普段は会社勤めとしてはラフな格好で出掛けるが、今日は一泊分の荷物とパンプスを持って出掛けて行った。
「うん。だけど、お陰で今夜は外食」
そう言うと、今までカウンターの中でグラスを拭きながら黙って話を聞いていたマスターが手を止めた。
「いや。今夜もコロッケ美味しいです」
仏頂面をフッと解いて、マスターが笑う。
「そんなにお姉さんの手料理好きなんだ」
「母さんのよりも美味しいのは確かです」
「おやおや」とマスター。
確実に美味しい夕飯にありつくために姉が教えてくれたダイニングバー「slight」に来ていた。姉とも時々一緒に食べに来る店だった。
「お母さん、料理下手なの?」と常連のユーキさん。
母親の料理を食べているときは不味いとは思わなかったけれど、姉の料理を食べるようになってから知った味というのがいろいろある。母親の料理は「調味料の味」だったんだなぁ、としみじみ思う。
「つまり、濃い口って奴なんだ」
「そうなりますかね」とマスターの言葉に頷いた。
「結婚相手もハードル高いよね。胃袋掴まれている相手だとさ」
ユーキさんの「結婚」という言葉にドキリとした。
姉もいつかは結婚するのである。今は付き合っている相手の影も自分には見せないけれど。姉が結婚したら、やはり一緒に暮らすはないだろう。
「相手がマスオさんだといいんろうけど」
ユーキさんのいうマスオさんが、日本一有名なマスオさんだと気付くまでしばらくかかった。
「お姉さんに料理習ったら?」
「単に姉の料理が好きなだけじゃないんですよ。今の環境がすこぶる快適で」
「お姉さんになんでもしてもらっているの?」
「それはないです」
洗濯もそれぞれだし、掃除のエリアも当番制だ。
「実家にいた頃は気がつかなかったんだけど、オレ、姉のことが無茶苦茶好きなんですよ」
そう言うとユーキさんとマスターが顔を見合わせた。
「俺の友人も弟のことめちゃくちゃ好きでね。多分弟さんもそのお兄さんのことすごく好きだと思う。もっともそこは両親を早くに亡くしているから共依存的なところもあるかもしれないけどさ」
「ユーキさんはご兄弟いらっしゃらないんですか?」
「いるよ。兄貴が。兄弟仲もいいと思うけど、結婚したらどうしよう?なんて思ったことなかったね」
「自分にも姉がいるけど。キミみたいに結婚したらどうしよう?はなかったな」マスターが言う。
「でも、キミだってそのうち結婚とかするだろうし」
「そうなのかなぁ?」
全く想像がつかない。
姉とふたりでだったら、呑気にぽやぽやとこのまま何年も過ごせそうだと思っている。
「はぁ…」
思わず溜め息が出る。
ポヨンと間抜けな音を立てて、LINEメッセージ受信を告げた。
チラリと画面を見ると姉からだった。
「あ」
『ちゃんとご飯食べた?明日は戻り次第休みになったから今日食べそこなった夏野菜ポトフだからね』
とあった。
姉の夏野菜ポトフは煮込んだ野菜をコンソメゼリーで固めるもので、僕の好物のひとつだった。
『slightで食べてる。明日の夕飯楽しみにしている』
とそそくさと返信すれば、すぐさま、姉が作ったカエルのLINEスタンプが親指立てて「good」と笑っていた。
「なにニヤついているんだよ」
ユーキさんが腕を突く。
「あ、いや、姉からだったんで」
「彼女からのメッセージでもそんなに嬉しそうにしないんじゃない?」
「彼女からって、いませんよ、彼女」
そう答えると「やれやれ」とマスターが苦笑いという表情でこちらを見ていた。
「お姉さんは彼女じゃないんだからね」
「わかってますよ」
「ついでにお姉さんはキミのお母さんでもないんだからな」ユーキさんが言う。
「当たり前でしょ?」
そう言うとグラスに残っていたジンジャーエール飲み干した。
「こういうこと考えたことないですか?」
僕はふたりに向かって言った。
「僕の体にいる血は父と母の半分半分なんですよ。それは姉も同じで。ということは血の濃さでいったら親よりも兄弟姉妹の方が濃いんですよね」
マスターとユーキさんは僕の顔を見ていた。
「自分に近い者を愛しく思うのはやむを得ないことでしょう?」
「そうかもね」
ユーキさんが頷いた。
「さっき言った、俺の友人兄弟を見てるとキミの言うことにも頷きそうになる」
「確かに親や子どもとは違った近い距離感とそれでも別の人間だという事実とで、不思議な関係だと思う」とマスターも言う。
「キミがどれだけお姉さんを好きかはわかったよ」
マスターはそう言うと空になったグラスを下げた。僕はジンジャーエールをもう一杯頼んだ。
「なぁ、もしもキミのお姉さんとキミが双子だったらどうだったろうな?」
ユーキさんがそう言って目だけでこちらを見た。
「え?」
考えたこともなかった。
「もっともっと近くて愛しい者に思ったのかな?」
ユーキさんの言葉に双子の姉を想像しようとした。でもちっともイメージがわかなかった。
「どうでしょう?多分、今の、あの姉だから好きなんだと思います」
そう言い切って少し恥ずかしくなった。
この言い方じゃまるで恋しているみたいじゃないか?
ユーキさんは僕が考えていることなどお見通しというようにフフフと笑った。
「わかってますよ。この好きは恋に似ているようだけど、でも全然違うんです」
声に出して言うと、本当に恋と似ているだけの全く別の思いなのだと感じた。
マスターがジンジャーエールの入ったグラスを置く。
自家製ジンジャーシロップで作られたそれは、さっきよりも少しだけ辛く感じた。

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こちらの姉弟