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北極熊と虎


『北極グマとトラは一緒に戦うことはできない』
探偵はじっとそれを見ていた。
ネオン管で描かれた文字。
意味はあるのか?渡邊医師は探偵の背中越しにそれを見て思った。
「いやいや」
渡邊は首を振る。
芸術作品の意味を知るのは作った作家だけだ。
それを良い悪いと評価する外野は愚かしい…とは、目の前の探偵の台詞だ。
渡邊もその言葉に頷いた。
「珍しく、君と意見が一致したね」
探偵が嬉しそうに目を細めたのを渡邊は思い出す。
探偵は北極グマかもしれない。
渡邊は思った。
だけど、自分はトラではない。
渡邊は思った。
珍しく探偵が部屋を出て来た展示会だが、渡邊の知る作品はほとんどなかった。
「新しいことを知るのは重要なことだよ」
探偵はそう言っていた。
そう言ってはいたが、目の前にある作品は決して新しいものではない。
「国内でこれらの作品が見られるなんて」
いつになく嬉しそうに興奮する探偵と共に、渡邊は展覧会にやって来たのだ。
日常で探偵が部屋を出るのは、散髪と歯医者だ。
散髪は三週間に一度。歯医者は二ヶ月に一度。
買い物は小噺少年がするし、小噺少年が買えないものはネットで買う。
買い物の中での「衣」に関しては、定期的に探偵の実家から送られてくる。
「甘やかすのはよくないです」
渡邊はその都度、探偵の実家=探偵の兄に電話を入れる。
「まぁまぁ。身なりがきちんとしていないと、警察の信頼もなくなるだろうから」
探偵の実家というより、探偵の兄は事業家として成功者だった。元々、彼らは育ちがいい。渡邊は彼らの両親もよく知っている。家族ぐるみの付き合いをしていた。幼馴染とは少し違うのは、探偵と知り合ったのは大学生になった頃だった。
最初は探偵よりも少し歳の離れた探偵の兄と親しくなった。
その頃探偵の兄は医療機械の開発販売をしている会社に勤めていた。
医学部だった渡邊と話が合った。
渡邊と同い年であるという弟とは滅多に会うことはなかった。
親しくなるきっかけはなんだったろう?
渡邊は考える。
渡邊は医学部で6年間大学に通う。
「弟が院に進むようなんだ」
探偵の兄が言った。
「見かけたらよろしく頼むよ」
医学部の入っている建物は、大学病院と隣接していて、理工学部だと聞いている彼の弟が普段いる建物とは離れている。院も理工系だとしたらやはりあまり会うことはない。
それでも渡邊は「はい」と頷いた。
しかし、それから間をおかずに、渡邊は探偵と出会った。
あの時、ほとんど初対面の渡邊に探偵は言うのだ。
「この辺りで、美味しいコーヒーを飲ませてくれるところを知っているかい?」
その後、コーヒーショップで探偵は財布がないことを渡邊に告げた。
最初から渡邊に馳走されるつもりでいたのか?と渡邊はおかしくなった。
「ふん」
渡邊は鼻を鳴らした。
何を思い出しているのだろう。
渡邊は一度視線を自分の足に向け、そして再度顔を上げた。
そのタイミングで探偵がこちらを振り向いた。
「ねぇ、君」探偵は言う。
「この辺りで、美味しいコーヒーを飲ませてくれるところを知っているかい?」