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緑の火竜

昼から雨が降り続いている。今日は早めに店じまいをした。
まぁ、あれだ。例の感染症のあれだ。
ちっとも商売にならない。
ライブハウスは今やレンタルスペース状態。
ステージで練習やら収録(今はいろんな技術が発達して、自分たちで動画を撮って、ネットにアップできる。プロがいなくてもなんとかモノになるのはいいことなのか、悪いことなのか)やらに場所を貸して、その日の飯を食う…という感じだ。
自分の場合はまだいい。ひとり暮らしだし。ここも自分の持ち物だ。さほど借金もない。
店の裏の自宅に戻る前にもう一度戸締りを確認する。
近所のラーメン屋の屋根裏にホームレスが入り込んでいたという事件が先週あったばかりだ。
物騒というより、どうしようもない事件が増える。
裏口は楽器やら機械やらを搬入しやすくするために扉を大きくしているし、鍵はシャッターにしか掛からない。
機械警備も今年に入ってやめてしまった。大した金があるわけでもなし、人の出入りがあるわけでもない。そして何より少しでも経費を浮かせなくてはならない状況だ。
最後に裏口を確認しようとした時だった。
シャッターを誰かが叩く音がした。
「すみません。雨宿りさせてもらえませんか?」
先週のホームレスの事件を思い出す。
「すみません。このままだと、死んでしまうかもしれません」
おいおい。感染症にでもかかっていたんじゃたまったもんじゃない。かといって、このままというわけにもいかない。
扉をスライドさせてシャッターのロックを解除して、シャッターの開閉ボタンを押す。シャッターが10cmほど上がったところで奇妙なものが目に入った。
エメラルドグリーンの四つの足。人の足ではない。獣の足…だと思う。見たことのない足だった。
一瞬、シャッターを下ろしそうになったが、そのままopenのスイッチを押し続けた。
そこには何とも奇妙な生き物がいた。
着ぐるみだとしたら少しセンスを疑うデザインだが、生き物だと思うとなんというか、人の良さそうな雰囲気が漂っている。もちろん人ではないが。
「すみません。これ以上雨に当たると死んでしまいそうなんです。中に入ってもよろしいですか?」
子どもの落書きのような、少しだけ人間っぽい顔で流暢な日本語を話す。図々しいのか、礼儀正しいのかわからない。
「すみません。中に入ります」
こちらが固まっているうちに、のそのそと中に入り込んだ。
「ちょっと…」
「すみません。すみません。でも、雨が止むまで居させてもらえないでしょうか?」
「いいと言う前に入ってきて何言ってんだよ」
と言うと「すみません」と頭を下げた。
人間、驚きすぎると逆に冷静になるものだと知った。もしかしたら自分だけかもしれないが。
それはどう言って説明したらいいのかわからないものだった。
セントバーナード(自分がこれまでの人生で間近で見たことがある一番大きな生き物)より少し大きい体にキリンほどではないが長い首。頭のある場所で身長というのなら2mぐらい。顔は全体のバランスから見るといささか大きめで、耳なのか飾りなのかわからないもの(でもおそらく耳なのだろう)が頭の上についている。顔は人間のように平べったく、ぬいぐるみ感もある。全身がエメラルドグリーンの細い毛で覆われていて、今はそれが雨で濡れてキラキラしている。何ともいえない生き物が日本語で自分に話しかけてきても、その見た目でかなり衝撃を受けているのか、疑問も感じずにやり取りしている自分に今更ながら気がついた。
「僕は最近、自分がサラマンドラだと知ったサラマンドラです」
おかしな自己紹介だった。
「サラマンドラって火の竜だよな。火の竜が緑色ってことはないだろう?」
そう言ってやるとサラマンドラはキョロキョロと辺りを見回した。
鏡ではないが、機械の銀色の部分に映った自分を見ると「おやおや」と目を丸くした。
「これはまた素っ頓狂な姿ですね」
まるで他人事のように言う。
「何を言っているんだか。それがおまえの姿だろう?」
「いえいえ…あ、そうです?」
サラマンドラはその長い首を傾げて何やら考えている。
雨がぽたぽたと床に落ちる。
確か、タオルが何枚か店に置きっぱなしになっていた。
「そのまま動くなよ」
そう言ってタオルを取りにカウンターに向かう。思ったとおりタオルが5枚ほどあった。それを持って戻ると、サラマンドラはまだ首を傾げて何やら考えていた。
「雨に濡れると死んじまうんだろう?」
そう言って背中を拭いてやると奇妙に人間臭い顔が嬉しそうに笑った。
「雨宿りさせてくれただけでなく、背中まで拭いてくれてありがとう」
本当は床を汚されたくないだけなのだが、そう言われると照れ臭いものだ。
「それにしても、サラマンドラなんて本当にいるんだな」
と言うと、また中途半端に長い首を傾げた。
「そりゃあいますよ。でも、なんていうか、皆さんとは違った存在?概念的な?うーん、それとも違うか?」
「なんだい。自分のこともうまく語れないのか?」
「あなただってそうでしょ?」
常に少し驚いたような表情をしている顔が、目を丸くして言った。
「あなたは何者で、どうしてここにいるのか?僕が納得できるように説明できますか?」
素っ頓狂な顔をしたヤツにやり込められるのは面白くない。
「俺は、タカハシアキラ。ここにいるのからここにいる」
ムフフとサラマンドラは笑った。
「僕も同じです。ここにいるからここにいるんです」
納得するしかなかった。
「でも、普段は全く別のところにいるんです。どうやら世界の歪み、矛盾の隙間にハマってしまったようで、ここに落ちてきたんです」
「落ちてきた?」
「まぁ、感覚的ですが」
こういう言い方は悪いが、サラマンドラは見た目よりもかなり知性的なものの言い方をする。そのギャップはかなり大きい。
こちらが何も言えずにいるとサラマンドラはチラリと見下ろしこう言った。
「ちなみに、さっき概念的と言ったけど、今ここであなたの見ているこの姿は、あなたの中にあるサラマンドラの姿が具現化したものなんですけどね」
そう言われてギョッとする。それはないだろう?いくら自分に美術的なセンスがないとはいえ、ここまで素っ頓狂なイメージをサラマンドラに持っているつもりはない。
「僕に似た何かをあなたは知っているんじゃないですか?」
サラマンドラ、サラマンダーはサンショウウオの仲間もそう呼ばれてはいる。サンショウウオの顔は確かに愛嬌はある。しかし…
「まぁ、いいでしょう」
サラマンドラは言った。
「雨が止んだら多分帰ることができるはずですから、それまでのお付き合いです」
「やっぱり、火は水に弱いのか?」
当たり前のことを思わず訊いた。
「水を炎で蒸発させてしまうことはできますよ」
自慢げに返された。
「ご存知のように、いつもは炎の中に住んでいるんですよ。快適な炎の中に。炎のないところでもこうしていることはできますが、決して快適なわけじゃない」
「火は起こさないのか?」
「僕の役目はこう見えて全てを焼き尽くすことじゃないんです」
定説は嘘なのか?
「過去を消し去ることです」
「え?」
「そして未来の形を映し出す」
うっとりとした表情でサラマンドラは言う。
「水はその未来への道筋を人々に教えているんです。僕らは決して敵対している存在じゃないんです」
サラマンドラが言う。
「僕がいないと水は何処を目指せばいいのかわからないし、僕も僕だけじゃ世界を導けない」
そう語るサラマンドラの素っ頓狂だと思っていた顔には今や神々しさすら感じる。
「水竜は勘違いされやすくてね。人によって何度も何度も狩られてきた。水竜は優しいからね。何度も何度も生まれ変わっては人を世界を導いてきたけど」
そこでサラマンドラは言葉を止めた。
「けど?」
「何でもない」
サラマンドラは首をゆるゆると振った。
「そろそろ、雨も上がるかな?」
サラマンドラが中に入ってすぐにシャッターを下ろしていた。
シャッターに当たる雨音はだいぶ弱くなった。
「キミはさっき、自分がサラマンドラだと最近気づいたと言ってたよね」
サラマンドラは相変わらず驚いたような顔をしてこちらを見た。
「それなのに、水竜との関係を昔からのように語るのは矛盾してないか?」
「思い出したんですよ。自分がサラマンドラだと気づいた時に」
サラマンドラはそう言って溜息をついた。
「僕も割と最近、再生したばかりなものでね。でも、過去からの記憶は続いている。矛盾ですよね」
「何が?」
「過去を消し去る者の過去は消えないんですよ」
悲しそうにサラマンドラは言った。
「様々な矛盾が積もり積もったこの世界はどんどん歪んでしまった。僕らの存在も歪みの原因だとしたら、僕らが示し導く未来なんてどうしようもない矛盾だらけの歪んだものでしかない。それに先に気がついたのは水竜なんです」
心なしか、最初に現れた時よりもサラマンドラが小さく感じた。
「世界を終わらせてもいいと水竜は思っているんです」
サラマンドラがぽつりと言った。
「キミは?キミもそう思っているのか?」
「わかりません」
サラマンドラは項垂れてゆるゆると首を振った。
「こうして雨宿りをさせてもらって、体を拭いてもらって、話を聞いてくれたあなたがいる世界はまだ終わらせなくてもいいんじゃないかな?とは思います」
サラマンドラは言った。
「ただ、これまでの記憶を思い出すと、水竜の気持ちもわかります」
そう言って顔を上げると、じっとこちらを見た。
「世界の終わりが僕には見えます」
絶望的な言葉だった。
「そこに人が、世界がいつたどり着くかは僕は知りません」サラマンドラは言う。
「明日かもしれないし、1年後かもしれない。10年後、100年後かもしれない。水竜の導きでそこに到達するだけです」
「他の未来は見えないのか?」
「水竜が他の道筋を拒否してしまったんです」
こんな世界の片隅で。ほとんどその日暮らしの自分が、世界の終わりを告げられても、何もできない。
「何でそういうことを俺に言うのさ。もっと世界を動かしているもっと偉い人に伝えるべきじゃないのか?神話の中では、そういうことは常に王や英雄に伝えられるものじゃないのか?」
「伝えられた者が王や英雄になっているだけかもしれませんよ」
「未来は変えられるのか?」
「わかりません。到達を引き延ばすだけなのかもしれません」
「それに意味はあるのか?」
「意味は僕たちにはありません。そこに意味があるのはあなた方だけです」
今や最初に感じた子どもの落書きのようなデザインの着ぐるみは、神の使者ともいえる神々しさを身に纏っていた。
「雨が止んだようです」
外は奇妙なまでに静かだった。まるで世界が終わったかのように静かだった。
「ありがとうございます。帰ります」
そう言われてシャッターを開いた。
空の雲はだいぶ薄くなっていたが青空は見えない。シャッターの向こうには見慣れた我が家が見える。
「本当にありがとうございました」
サラマンドラは頭を下げた。そしてバランスの悪いエメラルドグリーンの体を揺らしながら外に出る。
「せめて、あなたとあなたの大事な人がいるうちは世界が終わらないことを、微力ながら祈っています」
そう言ってもう一度頭を下げた。
サラマンドラの尻尾の先がズルズルとシャッターの向こうに出た途端に、サラマンドラの姿が消えた。
サラマンドラが「世界の終わり」のビジョンを自分に見せなかったことが、彼の精一杯の優しさなんだと思った。
雨の雫がシャッターから落ちて肩を濡らした。
ここからは虹は見えないけれども、何処かに虹が出ていることを願わずにはいられなかった。