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クツワムシ

クツワムシを見たことがない。どんな虫なのか想像もできず。とりあえずネット検索をした。
「カマドウマ?」

「いやいや違うだろう?色が違うし、気持ち悪さが違うよ」
「気持ち悪さって」
「じゃあさ、マツムシも調べてみた?」
「ううん」
「写真で見る分にはあんまり変わらないけど、クツワムシよりも小さい。むしろ、マツムシがカマドウマに似ているかも」
「そうなの?」
「大きさや色がね。でも、やっぱりカマドウマが気持ち悪い」
「うん。翅がないというだけで印象が全然違う」
「翅がない?」
「そう」
「でも跳ねるよね」
「うん。すごく跳ねる」
子どもの頃、親戚の家に遊びに行った時、勝手口から大きなカマドウマが入ってきて、みんな大騒ぎをした。
庭箒で叩いてもビョンと跳び上がってみんなを恐怖させた。伯母も従兄弟姉妹たちも、自分の母もキャーキャー声を上げた。
別に自分らを食べるわけでもなんでもない。それなのに何があんなに怖かったのだろう。
「ねぇ?それって本当にカマドウマだった?」
「自分も今までカマドウマだと思っていたけど、こうやって大きさとか調べるとあれはクツワムシだったかもしれない。大きかったし、何よりも緑色だったような気がするけど、すんごく跳ねたんだ」
みんなを恐怖させたのはその跳躍力だったと思う。
子どもだったとはいえ、虫が自分の顔の高さぐらいまで飛び跳ねるのである。
人間の体に置き換えたらどれだけ高くに飛んでいるんだ?
そんな想像のつかない事が起きていることに恐怖したと思う。少なくともその時の自分は。
「クツワムシはあんまり跳ねることができないというけど」
「じゃあ、あれはカマドウマでよかったのかな?」
「さぁ?」
「その子どもの頃に遭遇したその謎の虫はともかく、カマドウマは高校の部室や用具室によく出てね。思えばカマドウマって隙間とかじめっとした変なところにいるよね」
「海辺の岩場にもいたりするからね」
「確かに跳ねられると驚くけど、でもそれだけだよね」
「あいつら雑食でなんでも食べる。それも気持ち悪さを増長させているかもね」
「人間だって雑食じゃん」
「そういうことは言わない」
「でも確かにあの謎の虫と部室に出たカマドウマは違うものかもしれない」

探していた本を借りて図書館を出る。古い日本の話に出てくる虫を調べていた。
いつの時代からいるものを在来種と読んでいいのかという問題もあるかもしれないが、とにかく古い書物出てくることで、日本に古くからいる虫とそれに関する昆虫観についてが卒論のテーマだった。
耳を澄ますと、クツワムシらしい声が他の虫の声に混じって聞こえる。
でも、それも本当にクツワムシなのだろうか?
クツワムシの鳴き声もネットで調べてようやくわかった。
ネットの中のクツワムシのように単独で鳴いているのはおそらく聞いたことはない。
確かに存在するのに、その実態がよくわからない。
どこかで会っているはずなのだけれども、相手を意識していなかったせいかきちんと記憶に残らない。
クツワムシは全く意識されずに、それでも絶滅しそうな勢いで個体数を減らしているらしい。
「気の毒な存在だ」
さっき見た昆虫図鑑を思い出す。
「クツワムシは葛しか食べない」
雑食のカマドウマと大違いだ。
大きな形なのに儚く思うのは人の勝手だ。
自分の中でクツワムシの存在は輪郭のぼけた、存在しないものに限りなく近いなんとも言えない存在だった。