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【43 鬼】#100のシリーズ

この町に着いてから、ずっと何かしらの気配を感じる。それらはまるでこちらの様子を窺っているかのようなそんな感じで、悪いものではないような気がしていた。
「ここは古い土地なので、河童も天狗もおりますし、庄屋様のお宅には座敷童もおります」
案内を受けたものの「はぁ」としか言いようがない。
庄屋様とは大昔からのこの辺りの大地主のようで、今でも庄屋様と呼ばれているのだという。
それにしても今は21世紀。令和の時代だ。
「狸にも狐にも気をつけてくださいましね。人に化けるならまだしも、道を迷わせますから」
狐も狸も化かすなら、化け猫もいるのか?
思わず口にすると、「化け猫と呼ばないでくださいましな」と案内の役場職員は苦笑した。若い子なのに丁寧というか独特の口調の持ち主だった。
「猫又、と呼んでやってくださいませ。猫又は結構、そこかしこにおりますから」
「はぁ」
平成の大合併で市にはなったものの、かつての白城しらき町は白城区として町だった頃の様子とほとんど変わらぬ形であるのだという。
この白城区もやはり過疎化は進んでいて、都会からの移住者を募集していた。
住居は無償で提供してくれるという。
もしも、かつての仕事を辞めて移住するならば、農業法人への就職の斡旋、伝統工芸の継承など地域に長期に渡って生活できるよう至れり尽くせりのサービスがあった。
自分は陶芸をしている。先の大雨で自分たちが窯を構えていた山が土砂崩れを起こし、自分たちの窯は全て押し流された。この地域にかつていた陶芸家のアトリエ兼住居を提供してもらうことになっている。報道を見た白城区の職員から連絡があったのだ。
4人で構えていた窯だったが、この町には自分ともうひとり碓井が移住することにした。
ひとりはこれを機に陶芸を辞め、実家に戻るという。
もうひとりは、以前より声をかけられていたイタリアに渡るという。
碓井は家族もいるので、今日の下見には来られなかったが、小さな子どものいる碓井でも安心して生活できそうだ、と思った矢先の怪談話だ。
白城区には設備の整った病院も学校もある。
かつては隣町だった緑区に大きなショッピングセンターもあり、車があれば不自由はしない。
自分が借りるアトリエは里山の中にある。
里山といっても白城区の中心、市役所の支所や商店街から車で15分程度の場所だ。
建物は思ったよりも新しい。窯も案内を受けたように外には登り窯。アトリエの中にも電気窯があった。他の設備も完璧だ。何よりも環境がいい。
「本当にいい場所ですね」
「ありがとうございます」
「過疎化なんてもったいない」
「一度都会に出てしまうと、なかなか戻って来ないですからね」
大学進学で町を出た若者はなかなか戻ってこないのだという。
「河童や天狗が薄気味悪いものと思うようになるとなかなかここには住めませんから」
「はぁ」
またその話かと思った。
「渡辺さんはおそらく長くここにいてもらえると信じています」
きれいな笑顔を向けられると、嬉しくなるのは男の性だ。
「いろいろここにはいるようですが鬼はいないのですか?」
思いつくままそう言うと、案内していた彼女…名前を覚えるのが苦手だ。首に掛けている身分証はさっきから下の名前しか見えない。たまきさんでいいのだろうか?…は立ち止まるとこちらを向き「そうですね。鬼はいません」と言った。
「鬼切殿に寄って鬼はみんな切られ、封じ込められたのだという記録があります」
「はぁ」
「ですから安心なさってください。この辺りは鬼に惑わされることもないので治安もいいんですよ」
「鬼を封じ込めている?」
「はい」
環さんはにっこり笑う。
「封じ込めている、なんて言うとそこを暴きたくなるのが人のさがというもので」
「え?あ、いや。封じ込めている祠とかどこかな?と気にはなりますが、暴くだなんて…」
「あったんですよ。何回か」
環さんは秘密を明かすかのように言った。
「昭和の戦後間もない頃の騒動が最後ですね」
「はぁ」
騒動と呼ばれるからには暴いたことで何か起きたのだろう。
「その時も鬼切殿に封じ込められました」
鬼切殿というのはひょっとして役職名なのだろうか?
「鬼切殿は賢くていらっしゃいまして、簡単に暴かれぬよう鬼どもを封じ込んだ上に建物を建てることをその時の町の長に進言し、長はそれを実行致しました。それがあの支所の建物、元の町役場でございます」
驚いた。驚いて声も出なかった。
「今では鬼はこの町を守る役目を果たすしかないんです」環さんは言った。
「ですから渡辺様」
上目遣いでこちらを見る。
「末長くこちらの町にいらっしゃってほしいと皆願っているのです」
美人にそう言われて悪い気はしない。ずーっと自分たちの様子を伺っているものの気配もこうなるとどうでもよくなるというものだ。
「よろしく」と言うつもりだった。
だけど自分の口が勝手に言った。
「いざという時は鬼切の役目、果たさせてもらう」
言った自分が驚いた。
環さんは嬉しそうに笑う。
そして周りからは喝采が聞こえた。
「令和になって初の鬼切殿。できればその役目を天命尽きるまで果たすことなく済みますよう、我々御使祈るばかりでございます」
環さんが恭しく頭を下げた。
スーツの上着から、ふたつに分かれた尾が見えていたのに気がつかないふりをして頷いた。


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