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【金魚鉢】#シロクマ文芸部

「金魚鉢・・・?」
宵月は目覚めにそう呟いた。

「変な夢だったんだ」
朝食のフレンチトーストを食べながら宵月が言う。
「珍しいじゃん?夢とか引きずるの」
野々隅が言うと、宵月はコクリと頷く。
「金魚鉢って、家にあったことがないんだよね」
「金魚、飼ったことがない?」
「うん。ない」
そういえば生き物を飼ったことがない話をしていたな。と野々隅は思った。
「あ、でも、俺もないかも」
「何?」
「金魚鉢。今まで家に金魚鉢が登場することなかったかもしれない」
縁日で掬った金魚はどうしていただろう?野々隅は思い出す。
四角い小さな水槽があった。
あれには最初、ザリガニが入っていたはず。
「ザリガニ?」
「知らない?」
子どもの頃はずっとイギリスにいた宵月はザリガニを見たことがあるだろうか?と野々隅は本気で思った。アメリカザリガニというくらいだ。イギリスにいるだろうか?
「知ってるよ。図鑑とテレビで見ただけだけど」
宵月はそう言ってフレンチトーストを口に運んだ。
「それに、イギリスではみんな食べていたらしいし」
「食べてた?」
「僕は食べないけど」
好き嫌いの多い宵月のことだ。と野々隅は納得した。
「エビは食べられるだろう?」
野々隅は納得しても、少し突っ込んでみる。
「エビもここ数年だよ。食べられるようになったのは」
宵月は頬を少し膨らませた。
「ザリガニ飼ってたの?」
宵月がふと話を戻した。
「飼ってた。というか、小学2年の夏休みに強制的にザリガニを渡されるんだ」
「誰に?」
「学校」
宵月は目を丸くする。そんなに驚くことだろうか?と野々隅は思った。
「何で学校?」
「何でって…何でだろう?」
理科の授業、いや、小学2年だと「せいかつ」という科目だったと記憶する。特にザリガニの生態を学んでいたわけではなかった。
「あのザリガニ、どこからきてたんだろう?」野々隅が呟く。
「何?それ。ちょっと怖い」と宵月が眉を顰める。
微妙な空気になった。
野々隅は慌ててコーヒーを飲む。まだ少し熱い。
「あー。金魚鉢。何で金魚鉢?」
「金魚鉢?」
宵月が首を傾げる。
「そもそも、金魚鉢の夢を見たとか言ってきたのから始まっているから。この話」
「金魚鉢の夢じゃないよ」
宵月が反論する。
「誰かが金魚鉢が欲しいって言うんだ」
口に運ぼうとしていたマグをテーブルに戻して宵月が言う。
「何で金魚鉢?って思ったんだ。何だか全然金魚鉢が出てくる夢じゃなかったような気がする」
「ふーん」
「全然知らない人だったし」
少しまた奇妙な空気になった。
宵月はテーブルに置いたマグを口に運ぶ。野々隅のコーヒーはブラックだが、宵月のコーヒーには温めたミルクも入っている。
「ザリガニ」
「え?」
「脱皮した?」
宵月はテレビでザリガニの脱皮を見たのだと言う。
脱皮の最中は透明に見えていた皮が、脱皮し終えると元の皮の色になったと言う。
「見てない」野々隅が答える。
「多分、皮を食べたんだと思う」
「ウソ」
「同じクラスのヤツが食べているのを見たと言ってたんだよね。それにウチにいたザリガニは2週間ぐらいでいなくなったんだ」
「いなくなった?」
死んじゃったの?と宵月は小声で訊ねた。
「うーん。朝見たら水槽が空っぽになってた。蓋の覗き穴が開いていてね。多分、逃げた」
「家の中にもいなかったの?」
宵月に問われ、野々隅はゆっくりと思い出す。
「どこにもいなかった」
野々隅がそう言うと宵月は声にせず「怖っ」と言った。
三たび、奇妙な空気に包まれた。
そして奇妙な空気のまま、ふたりは朝食を続けた。