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地獄の番犬

これはどう見てもかの有名な地獄の番犬ではありませんか?
竪琴の音色で安らかに眠ってしまうなんてまさにケルベロス。
「お安くしておきますよ」店主が言う。
「これでいてなかなか飼いやすいんです。主人には忠実だし。ここに来て餡パンを覚えましてね。好物なんです」
「餡パン?」
「漉餡が好みのようで」
竪琴をかき鳴らしながら店主は言う。
長い銀髪をゆったりとひとつにまとめた店主は、流暢な日本語を語るが、どう見ても西洋人である。しかもペットショップの店主というには浮世離れしすぎた雰囲気だった。
紹介を受けて来たこの店は、少し変わった生き物を扱う店だった。商売っ気があまりなさそうで、店構えはあまり大きくないが、中が異様に広い。西洋の古い城を思わす内装の部屋の奥にはまるで森の洞窟があるようにも見えた。とてつもなく大きな生き物もいるし、同じ生き物のミニチュアサイズもいる。こちらの環境に合わせてサイズを勧めてくれるが、奥にいるあのデカいヤツを飼おうという人はいるのだろうか?
今勧められているケルベロスは犬としては大型犬でセントバーナードよりもやや体高が高く体長は短い。ドイツシェパードにも似た感じだが、毛は思ったよりも柔らかく、黒っぽい色をしているが光の当たり方で青く輝く。
それでもケルベロスにしたらだいぶ小さな方だという。
「超小型サイズもいますが、番犬としてならこのくらいの大きさの方が威圧的です」
まだ仔犬だが、この大きさからはあまり変わらないとのこと。
「名前を付けるとしたら、頭ごとに別々にするべきですかね?」
「うーん、そうですね。みんな微妙に性格が違うので区別をつけるためには別々にしておいた方がいいかもしれません」
店主は竪琴をそっと置いた。
ケルベロスは(たちはというべきか?)眠ったままだ。
「少し臆病で、少し甘えん坊なんですが、頭ごとにその程度が違いますね」
一番臆病なのは真ん中で、甘えん坊は向かって右側の子だという。ちなみに左側の子は食いしん坊なのだそうだ。
「油断してると真ん中の子の分も餡パンを食べてしまうんです」
そう言って店主は眉を下げる。
「臆病で番犬が務まりますか?」
「臆病だからこそ、吠えるんです」
なるほど、と納得する。
「散歩は特に要りません。食事も一日一回で構いません。犬ではないので狂犬病の予防接種も不要です」
なるほど、思ったよりも飼いやすそうだ。
「でもうちには竪琴ないから、こうして眠らせることできません」
「あぁ、それは別に竪琴でなくても大丈夫ですよ。お気に入りの子守唄があれば眠ります。一度眠るとしばらくはこうして眠ってくれます。この子は宇多田ヒカルさんの歌でも眠ります」
「はぁ…」
宇多田ヒカルの歌で眠るケルベロスがすごいのか?ケルベロスを眠らせる宇多田ヒカルがすごいのか?この店に宇多田ヒカルの曲が流れるのを想像するのは難しい。
「室内飼いでも気配に敏感ですから番犬になります。万が一誰かが侵入してきたら、対処法を知らない相手でしたら確実に…」
店主は意味深に言葉を切る。
「確実に?」
「確実に地獄送りです」
店主は天使のような微笑みを浮かべてそう言った。