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クラウンブックス

「本の買い方?そうだね。基本は本屋に行くよ。欲しい本を買うついでに『何かないかな?』と探すのが好きなんだよね。でも、本って割とすぐに店頭からいなくなっちゃうから、確実に欲しい時は、ネットで注文して本屋で受け取る、そうしているんだ」
先日の地元の大学出身の新進作家にしたフリーペーパー用のインタビューを聞きながら「なるほどね。若い人も本屋に行くんだ」などと思い、職場の上司に「常務は本読みます?」と悪気なく訊いた。
「おまえは俺を馬鹿にしている」
ボールペンの先をこちらにピシッと向けて常務は言った。
常務と言っても30そこそこ。会社の立ち上げ時から社長らと共にいる。仕事はできるし、部下の面倒見もいいし、「無理をしてまで仕事をするな」をモットーにしているところがまたいい。
「本読んでいる姿を見たことないから」
「仕事中に本読んでなんかいられないだろう?」
「そりゃそうですが…本を買う話も聞かないし」
「買うよ。いまだに紙の本がいい派だ。老眼になるまでは紙の本でいるつもりだ」
「へ?なんで老眼?」
「デジタルだと字の大きさを変えられるだろう?老眼鏡よりもいいよ」
「なるほど」
町の本屋や図書館に置くフリーペーパーを作る仕事をしているのに、自分はもっぱら電子書籍派で仕事以外に本屋にも図書館にも行くことはなかった。ただ1箇所を除いては、だけど。
「ネットで注文した本を、本屋で受け取れるって知ってました?」
「なんだよ。おまえ、そんなことも知らなかったのか?」
「常務も使っているんですか?」
「もちろん。新刊予約じゃなかったら、書店に直接注文するより届くのがだいぶ速い」
「そうなんだ」
軽くショックだった。本を注文する必要がないから、知識としてだけ頭に入れておこうと思ったが、どうやらもう随分と浸透しているようだ。
「クラウンブックスでも受け取り可能だよ」
「え?」
クラウンブックスは仕事以外で立ち寄る唯一の本屋だった。
町の中心部にある森…煉瓦の塀で囲われているから誰かの私有地なのだろう…の近くにクラウンブックスはある。森の緑と可愛らしい店構えはとても似合っている。絵本の専門店で、絵本以外だとすっかり定番化した大人の塗り絵と色鉛筆やサインペン、カラーインクを販売している。僕は時折サインペンを買いにクラウンブックスに行く。
「俺の友人がクラウンブックスの近くに住んでいるから、時々本を受け取りに行くらしい」
「お友達?絵本をですか?」
「画集や図鑑なんかの大振りな本はクラウンブックスで受け取るらしい。近いのが一番だろう?そもそも、店頭受取のサービスはその友人から聞いた話でね」
クラウンブックスには駐車場がなく、少し離れた駐車場に車を停めなくてはならない。それなら駐車場完備の文月堂に行った方がいいのではないか?ひょっとしたら常務の友人も、ひなたさん目当てなのか?常務と同い年ならちょっと歳の差あるんじゃないか?
そう。僕がクラウンブックスに行くのはひなたさんに会いたいからだ。
「ほとんど運動しないやつだから、散歩がてらにクラウンブックスに行くらしい。本当は何冊も一気に頼みたいけれど帰りを考えるとせいぜい2冊。無駄遣い防止、積読本を作ることもないからクラウンブックスは都合がいいらしい」
先輩の話はもうほとんど僕の耳には入ってこなかった。

家に帰って、じっくりと本を選んだ。
どんな本でも店頭で受け取れるとはいえ、クラウンブックスの雰囲気とあまりかけ離れたものではダメだ。
「図鑑や画集を取りに行くと言ってたな」
散々悩んだ挙句、注文したのはZINE のデザイン本だった。
「仕事熱心」と思われるだろうか?「仕事ばかり」と思われるだろうか?
注文した後からまたひどく悩んだ。
ひなたさんとは仕事で知り会ったけれども、仕事以外で会っている回数の方が多い。回数だけだが…。
そもそも、ひなたさんは自分のことをどう思っているのだろう?
ひなたさんはこの町に古くからある古本屋「天河堂」さんの孫娘さんだ。他所の町に住んでいたが、この町にある美大に入学。その頃から祖父である天河堂さんと天河堂の裏にある家に住んでいる。
版画作家でもあるひなたさんは、やはりお祖父さんの影響もあって「絵本屋クラウンブックス」を始めたのが今から2年前。ひなたさんが24歳の時だった。その開店時にやはりフリーペーパーに紹介記事を載せるために会ったのが最初だった。名前のとおり、暖かくて明るい女性だ。
所謂「一目惚れ」ってヤツを2年間ずるずる引きずる日々だった。

本の発送のお知らせのメールは3日後に届いた。
明日には本が届く。
すでに緊張している。
何をやっているんだ?普段カラーサインペンを買いに行くのと一緒じゃないか?そうだ。一緒にサインペンも買うのがいい。うん。そうだ。
いつものように、仕事の休みの日の買い物の流れでやってきました。それでいこう。
意味不明の脳内シュミレーション。別に「好きです」と言いに行くわけでもないのに、たかだか本を取りに行くだけなのに自分は何をしているのだろう?

土曜日。
仕事のある日よりも早く起きた。クラウンブックスの開店は午前10時。開店と共には少しアレなんで11時に店に着くようにしよう…などと思いながら家を出たのが午前10時。駐車場に車を停めたのが10時20分。駐車場からは5分と離れていない。車の中でじっとしているのもおかしな話。とりあえず車を降りて、深呼吸をしてから歩き出す。
クラウンブックスの前に着いたのは10時30分。
もういい。入ろう。
ドアは手動。開けるとカウベルが鳴る。
ドアのすぐそばにレジカウンターがある。
「こんにちは」
レジ前に客がいた。
「こんにちは。お久しぶりです」
ひなたさんが笑いかける。いつも「久しぶり」の間隔でしか来れていない。
「じゃあ、僕はこれで」
クラウンブックスのマークの入った帆布のトートに大きめな画集らしき本を入れながら、カウンター前にいた客が言う。帆布のバッグは常連の証。1周年記念に作ったノベルティだ。
「先生、逃げようとしてもダメです」
ひなたさんがカウンターの上に上がっているトートを掴んで言う。
「え、でもお客さまですよ」
「えぇ。でも、宗形さんはいいんです」
名前を呼ばれてドキリとした。いったい何がいいんだろう?
「先生、次は必ずとおっしゃってましたよね?」
先生と呼ばれている相手は、僕と同じくらいか、歳下とも思える男性で、整った顔立ちはイケメンというより美人といった感じだった。とても「先生」の雰囲気はない。
先生は「いや、あの、でも、僕なんか…」と俯いてしまった。
「僕なんかでいいのでしょうか?」
「先生だからいいんです」
きっぱりとひなたさんが言った。
雷に打たれたようなショックだった。
そうか、ひなたさんはこの人が好きなんだ。
カウンターの前をよろよろと通っていつものカラーサインペンの前に立つ。
「約束でしたよね。次の本が出たらって。今回は随分と待ちました」
ひなたさんの声を背中で聞く。
あぁ、なんて時に来てしまったのだろう。僕はひどく後悔した。何度も繰り返した脳内シュミレーションにない展開だった。
「じゃあ、私の分だけでいいです。本当に熱心なファンは多いんですよ。先生、お写真載せないからこの辺りを歩いていてもご本人だと気づかれてないだけですが、先生の翻訳した絵本を買っていくお客さま多いんです」
「じゃあ、気付かれないままで…」
ふたりのやり取りに思わず目を向けた。
先生は俯いたままで、カウンターの上には数冊の絵本が乗っている。
カウベルが鳴り、ドアが開く。
「まだ居たのか?どうした?」
聞き覚えのある声だった。
「あれ?」
思わず声が出た。
「お?宗形。本は受け取れたか?」
「なんでそれを知っているんです?」
「いや、知らない。かまかけてみただけだ」
そう言って常務がにっこり笑った。

ひなたさんと常務に説得され、「先生」は本にサインをした。丸みのある文字で几帳面に表紙裏に名前と日付を書いていた。
サインをし終えた先生は大きくため息をついている。
「ありがとうございます。先生」
にっこり笑ったひなたさんが言う。
「いえ。元はと言えば、こいつのせいですから」
何故か常務が応える。なるほど、常務の言う友人はこの人のことだったのだ、と今更気づく。
「おまえが本人だ。なんて言わなきゃいいのに」先生が反論する。
「身バレしたくなかったらペンネームぐらい持てよ」常務が苦笑する。
「先生の名前は珍しいですから。まさか御本名とは思いませんでした」ひなたさんが言う。
「これでおしまいにしといてやってください。じゃないと、もうこいつここに来れなくなりますから」常務が先生のトートを持ちながら言う。
「わかりました。私も先生にお会いできなくなるには寂しいですから」
ひなたさんの言葉に安心しかけた気持ちがまたざわついた。
「じゃあ、そういうことで」
常務はひなたさんに言うと「行くぞ」と先生の肘を掴む。
「じゃあ、宗形、そういうことで」
何がそういうことかわからないが「お疲れ様です」と頭を下げた。

「ごめんなさいね。騒いでしまって」
確かにいつものクラウンブックスにはないバタバタした空気だった。
「翻訳家の先生がシャイな方で、サインをずっと断られていて」
翻訳家なのか。あとでインタビューとか取れないかな?と一瞬頭を過った。
「しまいには、受け取りのサインでいいじゃないですか?なんて言い出す始末ですからね。ホント、可愛らしい方だわ」
「ひなたさんは、あの先生が好きなんですか?」
「そうね。好きよ」
こうもあっさりと振られると、何も言葉が出ない。
「こんなに近くにいるのに、それでもどこか存在が遠いのよね。動物園のパンダを見ている感じ?」
「へ?」
「それじゃあ、先生に悪いわね。テレビのアイドルとかが好きっていうのと似ているのかなぁ。今までアイドルを好きになったことがないけど」
ひなたさんはサインをしてもらった本を、使い込まれたクラウンブックスのトートに入れた。先生が持っていたのとは違うコットンバッグだった。
「宗形さんのご本、届いていますよ」
そうだった。それが目的だった。いや?そうなのか?
「こちらでよろしいですか?」
「あ、はい」
カウンターの上に置かれた本を見ながら、メール画面をひなたさんに向ける。
「お仕事、忙しいんですか?しばらくいらっしゃらなかったけれども」
「あ、ちょっと、新しい企画とかも出て…あ、でも、ブックスペーパーの担当はそのままです」
受け取りのサインをして、支払いを済ませながら答えた。
「よかった」
ひなたさんはにっこり笑った。そして、クラウンブックスのオリジナルコットンバッグに僕の本を入れた。
「ようやく、宗形さんにこの袋渡せたわ」
初めてクラウンブックスで本を買った客に渡すというコットンバッグ。2回目からはそれを持参すると本が5%引きになるという。
「いつもカラーペンばかりで。宗形さんはどんな本を読むのか気になってたんですよ。うちにあるような本はやっぱり男の人は好まないのかなぁ?って」
「いや、あの、その」
袋を受け取りながら、先生のように俯いてしまった。
「こんな感じに利用していただけることわかってもらえて嬉しいです。また来てくださいね」
「はい」
何かが大きく前進したような気がした。
「また来ます」
僕はそう言って店を出た。
店を出た途端に気がついた。
カラーペンも買うつもりだったのだ。
店の方を振り向くと、トートバッグにもいるこの店のシンボルキャラクター、「王冠を拾うピエロ」の看板が目に入った。
「宝物を探すピエロ。あなたの宝物は何ですか?」という話があるのだと、以前、開店の時の取材でひなたさんが言っていた。
明日も店に来よう。カラーペンとピエロの話の本を教えてもらおう。
「ついでに先生の本も買ってみるか」
僕は宝物を見つけたに違いない。