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紙風船-ふたりの場合-

さっきからあの子は何をしているのだろう?
珍しくファミレスにいるとついつい周りのことが気になって見てしまう。
ベビーチェアに座った子が手で何かを潰しては笑っている。
それを横にいる、おそらくあの子のお兄ちゃんなのだろう、それでもまだ未就学児と思われる子が「違うよ。ポンポンするの」と言いながら次のを渡す。でも決して怒ってはいない。どこか楽しそうにしている。
小さな子はまたぺしゃっと潰す。そして笑う。その繰り返し。
彼らの親は、隣のテーブルで数人の大人たちと難しそうな顔で話をしている。
たまたま研修会で来た町に、蒼月兄さんも来ているというので待ち合わせをしていた。
僕は本を読みながら2杯目のカフェオレを飲んでいる。
「少し遅くなる」は店に入ってすぐのショートメールだった。
兄さんは用件のみの時はショートメールが多い。
しばらくして蒼月兄さんがやってきた。
「遅くなった。待っただろう?」
「まあね。でもね、あそこの子達を見てたの」
「ん?」
小さな子はまだ何かを潰して笑っている。お兄ちゃんもつられてなのかニコニコ笑っている。ペショという音を立てて潰れたそれをお兄ちゃんがおそらく椅子の上に置いている何かに入れているようだった。
「あぁ、紙風船。懐かしいな」
本当に懐かしそうに兄さんが目を細めてふたりを見ている?
「紙風船?」
「青藍は覚えて…いないよなぁ。初めて会った時だから、ホント、あの子ぐらいだったかな?2歳、うん青藍が2歳の頃だ」
もともとあんまり子どもの頃のことを覚えていないが2歳となると本当に覚えていない。
「青藍は誰かに作ってもらった折り紙の風船で遊んでいたんだけどね。潰れちゃうだろう?息を入れて膨らますことをお祖母様の家の誰かに聞いて俺が膨らましてやると喜んでね。少し潰れると俺に渡すんだ」
兄さんはニコニコしながら語る。
「でもさ、だんだんと口をつけているところが緩くなってきて終いには膨らまなくなってしまった」
「うん」
「そしたら泣き出してね」
「僕が?」
「俺が泣いたらおかしいだろう?」
「そうかな?兄さんだったら悔しくて泣いてそうだけど」
「泣かないよ」と言いながら通りがかったウェイターさんにレモネードを頼んだ。
「コーヒーじゃないんだ?」
「さんざん飲んだ。しかも不味いやつ。口直しだよ」
兄さんは仕事でこの町に来ていた。
「青藍が泣いているのに、十和部さんが気付いて、俺が紙風船が膨らまない話をしたら、新しいのを折ってくれたんだ」
折り紙よりも少し丈夫な紙だったという。
「それを膨らませて、青藍に渡したら、すんごい喜んで。俺、悔しくなって十和部さんに折り方教えてもらって、夜に5つくらい折ったんだよ」
早々とレモネードが運ばれてきた。あまりにも早く来たので兄さんは少し怪訝そうな顔をしたが、ひと口飲むと「ま、いっか」と言った。
「次の日に張り切って青藍に見せたら、『それは何?』みたいな顔するから、俺、結構ショックだったんだよね」
それは悪いことをした。
「でも、紙風船を膨らませ見せたら喜んでまた遊びだして。折った甲斐があったよ」
兄さんはとても満足そうだったけど、僕は全く覚えていない。
「もうこれが最後だからね」
向こうの席のお兄ちゃんが言う。
弟くんは笑いながら「うんうん」と頷いているけど、ちっともわかってないんだろうな、と思いながらそれを眺めていた。
気がつくと蒼月兄さんもふたりを見ている。
「そうくん、終わったよ。せいちゃんの面倒見てくれてありがとう」
ふたりの隣のテーブルで話をしていた彼らの父親らしき人物がそう言った。
「そうくんとせいちゃんだって」
兄さんが小声で言う。
「ミチハラさんも大変だね。早く奥さん退院できるといいね」
「臨月までは帰って来れないよ。今度は双子だから」
「女の子だといいね」
「まぁね。でも元気ならどっちでもいいよ」
大人たちの会話をよそにせいちゃんは最後の紙風船を潰した。

蒼月兄さんの運転する車で、そのまま家に帰る。他の人たちはもう一泊して明日の電車で帰ることになっている。高速を使うと2時間。電車の方が乗り継ぎもあって時間がかかる。
「兄さんは今でも紙風船折れる?」
帰りの車の中で訊いた。
「折れるよ。今度、折ってやろう」
冗談だと思っていたのに、夜になって蒼月兄さんが折り紙で折った紙風船を持ってきた。紙風船といっても六角形に折った何かにしか見えない。
「サービスエリアに折り紙が売っていたんだ」
綺麗な模様の折り紙だった。
ふうっと息を吹き込むとポンと膨らんだ。せいちゃんが潰していたのよりも一回り大きいような気がする。遠目で見ていたのより四角いものだった。
手のひらの上でポンポンと弾ませる。
あぁ、でもせいちゃんの気持ちが少しわかるような気がする。
これは潰して遊んだ方が楽しそうだ。
「ねぇ、折り方教えてよ」
「いいけど。青藍は案外と不器用だからなぁ」
蒼月兄さんはそう言うとニヤリと笑った。

たまにボツにした論文プリントで紙風船を作る。
A4コピー用紙を正方形にして折った紙風船はちょうど僕が潰すには手頃な大きさだった。
ふうっと息を吹き込んで膨らんだそれを机に置いて眺める。
それを両手でボフっと潰す。
それをきっかけに残りはシュレッダーにかける。
その後、蒼月兄さんからは「よく飛ぶ紙飛行機」の折り方も教わった。
こっちは思わずいろいろシュミレーションしたくなった。
あの日、兄さんが折ってくれた綺麗な模様の紙風船はまだ持っている。
たまに膨らませたくなる衝動を抑えて、箱の中のそれを眺めている。
幼い頃の思い出はないけれども、そうくんとせいちゃんと共に、いい思い出になっていた。

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にて緋村さんが話していたことです。

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