見出し画像

結露する窓

会うたびに母は壊れていく。
アルツハイマー型認知症の母は、ここ一年ほどでだいぶ症状が変わった。あるいは進んだと言うべきか?
物忘れよりも感情の制御が難しくなり、検査を受け、認知症と言われた。
常に被害妄想。妄想は次第に形を変えて、自分の好きな人々がいまだ生きている世界を作りだしていく。
相手がまともでないと解っていても、でも…でも…。

母にあった後は結露した窓ガラスを思い出す。
冬の窓ではない。
外では雨が降っていて、窓の内側が結露している。
「おやおや」「やれやれ」
外の景色を見たいわけではない。
結露した窓ガラスは水滴同士がくっついて自分の重みで垂れ始める。
幾筋も幾筋も垂れはじめる。
使い古しのフェイスタオルで拭き取る。
そして最後には窓枠を拭く。
その水滴は部屋の中の空気の中にいたものだ。
それに気づくこともなく、失っても何も変わらない…ように思える。
雨が降り続く間は繰り返し繰り返し、窓は結露する。
全く関係ないそれを思い出す。

自分と同じように、アルツハイマー型認知症の母を持つ知り合いと話をすることがある。
忘れている。被害妄想もある。
「みんな変わらないよ」
そうだろうか?
「何も面倒ないよ。施設の人が見てくれる。いつかは何かの病気になって、施設から病院へ行って、そして自分がどうなっているのか?なんなのかわからないまま死んでいく」
「自分が何かわからなくなった時点で、もう人として死んでいるのではないか?」
「そうかもしれない。線引きは難しいね。でも、心臓が動いているうちは、動かしてやらないといけない。何故ならば、相手はまだ生きているのだから」

不意に結露した窓が浮かぶ。
すっかり結露してしまった窓。
気がつくと殆どが水滴で覆われている。
最初は細かい水滴だった。
それを見て見ぬふりをして、いや、見ぬふりではない。気にならなかったんだ。
毎回毎回、使い古しのフェイスタオルで拭いて、ため息をつくのは自分だというのに。

でも結局どの段階で拭いても、水滴は流れ落ちる。

台風が近づいているという。
母のいる施設の電話をする。
「明日の通院はキャンセルお願いします」
先に病院にキャンセルの連絡はしていた。通院準備を済ませていた鞄はそのままで、自分は使い古しのフェイスタオルを探しに行く。
窓が結露しきってしまう前に。