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【紫陽花を】#シロクマ文芸部

紫陽花を切る甥の横顔が怖かった。
おかしな話だが、その紫陽花に恨みでもあるかのような顔だった。
「紫陽花、嫌いかい?」
声をかけた。
甥は、ピクリと肩を揺らすと「好きではないです」と答えた。
「バカみたいに大きくなるんですよ。それにしつこい」
夏の盛りを過ぎても咲いている紫陽花を見た時は驚いた。
「伯父さん。こっちでは秋の終わりまで咲きますよ」
「そうなのかい?」
最後は花脈だけが残り、レース編みか何かのようになるまで、紫陽花は花であり続けようとする。それを甥は「しつこい」と言っているのだろうか?
弟の持っていた別荘に住み始めて5年。
別荘といっても、2拠点生活をしていた弟が、地方に建てた家というだけで、リゾート地にあるわけではない。
弟は映画や舞台の脚本を書いていた。
どこでも仕事ができるから、と言って、数年前に弟の妻の実家のあるこの町に居を構えた。舅姑は弟の家の近くに住んでいたが、妻の姉夫婦と共に暮らしていた。
「何かあった時に、遠くにいるから知らないと言うわけにもいかないからね」
弟は言った。
「何かと気難しくて」
それは誰のことなのだろうと思っていた。
その弟が6年前に死んだ。
妻の両親が元気なうちに、先に娘婿が死んだ形になった。
その時弟の妻が「お義兄さん。この家、買ってくださいませんか?」と言ってきた。
その頃、弟の死が直接の原因ではないが、私も気持ちが塞いでいて、それまでしていた仕事ー会社経営を誰かに任せようとしていた。
老後の資金ならある。
自分はひとりだし、地方に住むのも悪くないだろう。
そう思って、その話を承諾した。
思ったよりも雪もなく、地方特有の余所者に対する警戒心もない。逆に関心もあまり持たないこの町の人々の中で生活するのは思ったよりも楽だった。
弟の妻は、私にこの家を受け渡すとさっさと都会のマンションに帰って行った。
弟たちの結婚式以来に会った彼女の両親は、他の住人同様、私に特に関心を持つことも毛嫌いすることもなかった。それは一緒に暮らしている他の家族も一緒だった。
だから特別行き来をするわけでもない。
弟の墓はこの町にある。
お盆になると弟の子どもたちが墓参りに来る。
お盆などそれまであまり意識したことがなかった。
自分たちの両親は、自分たちが子どもの頃に亡くなっていて、自分と弟は父方の祖父母に育てられた。祖父母もまた自分たちが大学生の頃に亡くなり、父の兄や姉が葬式を仕切り墓も見ている。
法事には呼ばれたが、他の時あまり伯父伯母と顔を合わせることはなかった。
そのせいか弟の子どもたちが墓参りのためだけにこうしてこの町を訪れることに、少しだけ驚いていた。反対に弟の妻は最初の2年は来たが、その後は何だかんだ理由をつけてはここに来ることはなかった。
夫婦仲が悪い話は聞いていない。
弟に対してどうこうよりも、単純にこの町に来ることが億劫なだけだ…と子どもたちが語った。
弟の3人の子どもの中でも、末の次男は来ると数日泊まっていく。
元々彼の部屋だった部屋に寝泊まりしていく。
墓参り以外どこに行くでもなく、私がこうして庭をいじり始めると「手伝うよ」とジャージ姿で現れる。
「紫陽花。母さんが植えたんだ。手入れしなくて済む花だからって」
「そうなんだ」
甥は弟と同じく芸能関係の仕事をしている。
「花が終わったら切ったほうがいいって言われてもやらない」
「うん」
しかし、紫陽花はずっと咲き続ける。
「咲き続けているのを言い訳にするんだけど、夏の間に剪定してしまうのがいいらしいって」
「そうなんだ」
そうして毎年甥は紫陽花を切っていく。
今年もひどく真剣な顔でバチンバチンと音を立てて紫陽花を切る。
私は大きく切った枝を袋に入れやすい大きさに切り分けながら木箱に入れていく。葉が少し、しんなりとなってからの方がゴミ袋に入れやすい。
「伯父さん。ひとりでこんなところいて平気?」
不意に甥が訊ねる。
「思ってたより平気」
私は正直に答えた。
「ホント?」
私も弟も生まれた時から都会暮らしだった。
「ホント。もっと…そうだね、不便で厄介かと思ったらそうでもない。美術館が少ないのは残念だけど。見たいのがあったら遠出も悪くない」
まだ出掛けることは億劫ではない。
「まぁ、もっと歳を取ったら考えるかもしれないけど」
切った枝をひょいと木箱に投げ入れる。
「私には子どもがいないから、何かあったら君たちの世話になるだろうけど」
「それは構わない」
甥はこちらを向いた。
「俺。本当に全然構わない。兄貴たちもそう思っているから。遠慮しないでほしい」
「ありがとう」
そう言うと、甥は庭に出てから初めて表情を柔らかくした。
そしてまたバチンバチンと容赦なく紫陽花を切っていく。
「終わったら、美味しい水出しコーヒーを飲ませてくれる店に行こう」
甥の背中に声をかける。
「どこです?」
甥がこちらを向いた。
「先月新しくできた店だ。車で10分かからない」
「へぇ?伯父さんにこの町を案内されるとは思わなかったな」
そう言って明らかに朗らかな顔をした。
「そうだな」
そう言われて私も驚いた。
「じゃあ、とっとと終わらせましょう」
甥はまたバチンと紫陽花を切る。
でもその顔はもう怒ってはいない。
覗き込まなくてもわかるような気がした。