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on the train

息子を連れて初めて東京に行った時だった。
ゴールデンウィークに託けて、仕事の用事なのに小学2年の息子も連れて東京に行った。
普段は地方の都市というには気が引ける街に住んでいる。電車は単線、バスの方がむしろ不便なので、滅多に乗ることがない。
だから今、見知らぬ人たちと一緒という電車の中で、息子は少し緊張しているようだった。
私が斜めにかけているショルダーバッグの肩ひもの背中側をキュッと掴んだまま隣の座席に座っている。
ドアのすぐ近くに座っていた。
「ゴールデンウィーク。東京に住む人たちは地方に遊びに行っているから、案外と電車とか空いてるもんだよ」
仕事仲間の助言は当たっていた。

私たちが乗った駅から2つ目の駅でスーツ姿の男性が4人乗り込んできた。
4人はドアを挟んで隣に立った。
席は空いているところもあったが4人が並んで座れるところはなさそうだった。
(ゴールデンウィークでもお仕事ですか?)
自分も仕事の用事で来たはずなのに、思いっきり高い棚に上げてそう思った。
「いいんですか?本当に」
小声で話していた彼らだが、一番若く見える彼の声がポンと飛び込んできた。
「いいも、悪いもないだろう?」
眼鏡を掛けた、4人の中で一番年上のように見える男性が応える。
そしてまたしばらくボソボソと何か話していた。
息子は私に隠れるようにしながら4人を見ているようだった。
今日はゴールデンウィーク且つ土曜日だ。それなのに4人はそれぞれビジネスバッグを手にしている。
「ぶっちゃけて訊いちゃっていいですか?」若い彼が言う。
「ん?」と眼鏡の男性が促す。
「コウサカさん、いくらもらっているんですか?
先輩に年収訊ねるなんていい度胸だ。
「ん?そんなにもらってないよ」
「またまたぁ〜。カワナカジマさんと変わらないくらいじゃないんですか?」
大層な名前だ。他のふたりのうち若い彼に並んで立っている男性がやれやれというような表情をしている。
「あいつがいくら貰っているって?」
眼鏡の男性=コウサカ氏が言うと、ぽそり、と私からは表情の見えない男性がコウサカ氏の耳元で囁いた。
「へぇ」
コウサカ氏と若い彼の声がハモった。
「そんなに貰っているの?」若い彼が言う。
「まぁ、でも、それよりも少し上と思ってもらっていいよ」
「上?120くらいですか?」
「だってボーナスとかないんだぜ?」
「え?マジ?」
おそらくコウサカ氏は単なる職場の先輩というだけではなさそうだが、若い彼の口調はとてもくだけている。
「マジだよ」
「え?じゃあ、逆にそれっぽっち、ってなりますね」
そうなのだろうか?
「まぁ、別に。それはそれなんだけどね」
それ以外にもあるとでもいうのだろうか?コウサカ氏の一言で急に彼らがどういう立場でいる人たちなのかが気になった。
息子も相変わらず私の陰に隠れながらも、じっと4人を見ていた。
「でも、いいんですか?このままで」若い彼が言う。
「いいんだよ。本社のバカたちに何ができるか?っていうんだ。俺たちがあそこまでもっていったものだ。それをあのバカたちがどうこうできるもんじゃない。すぐにこっちに回ってくるよ」
コウサカ氏がそう言うと、若い彼の隣に立っていた男性が「まったくそのとおりです」と頷いた。
「3年もちますかね?」
「長くて3年だな」
コウサカ氏が応える。
「カワナカジマさんも貧乏くじ引いたもんだよ」
若い彼が言う。
「なに。あいつが選んだんだ」
具体的なことはちっともわからないが、コウサカ氏の言葉はどれもみなテレビドラマのセリフのように聞こえる。

正直、聞いていて楽しい。

「本当は本当に俺もコウサカさんの方に行きたかったんですよ」
若い彼が言う。
「絶対そっちに行った方が楽しそうだ」
「確かに」
隣の男性も頷く。
「まぁ。君たちにはそっちにいてもらわないと。本当にあの年寄りたちにはあれをどうにかできっこないのだから」
『あれ』とは何かすごく気になった。年寄りたちには行しきれない『あれ』は一体なんなのだろう。
「子会社という立場でいいんですか?」
若い彼が言う。話の舵切りは常に彼だ。
「子会社?一銭も出さずによく言うよ」
「え?資本はどこから?」
「それはもちろん…」
コウサカ氏はそこまで言うと少し悪い笑みを浮かべた。
「マジっすか?」
若い彼が今までで一番驚いた顔をしている。
「本社だとか言っていられるにも今だけだ」
コウサカ氏の言葉に、ふたりがコクリと頷く。
ドラマみたいだ…と思っていたら、驚き顔の彼が、きゅっと表情を引き締めた。
「コウサカさん。本当にいいんですか?」
コウサカ氏はふうっと息を吐くと「いいんだよ」と言った。
「いいんだよ。どうせ俺は金に魂を売った男だよ」
まさにドラマのセリフ、と思ったその瞬間、隣に座っていた息子がショルダーバッグの紐ではなく、私のシャツにしがみついた。
4人から目を離し、じっと私の顔を見上げている。
「大丈夫。何も怖くないよ」
コウサカ氏のワードのどれが怖かったのだろう?
息子の肩をきゅっとこちらに寄せる。
「さっき長くて3年と言ってましたよね。俺たちは3年待てばいいんですか?」
若い彼の言葉に再び4人の方を向いた。
「自分としては2年でひっくり返すつもりだから。そっちもよろしく頼むよ」
「任せてください。コウサカさんの期待以上のもの出しますから」
「期待している」
その会話を最後に4人は電車を降りた。
降りる際に、最後まで顔の見えなかった男性がこちらを見た。
フッと目を細め笑うような表情を浮かべた。
視界の隅で息子が手を振っているのが見えた。

ドアが閉まり電車が動き出した。
「よかったねぇ」
息子はホッとしたのか、それまで掴んでいた私のシャツから手を離した。
私としては彼らのこれからがとても気になっていたが、おそらく二度と会うことはない。それが残念に思う反面、知らない方がいい場合もある、などと強がってみたりもしていた。

あと二駅で目的地に着く。