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薬屋 - 【眠り薬】【答え合わせ】#青ブラ文学部

「隣町にある薬屋に行くといい」
そう言われてここに来た。
薬屋は思ったよりも若い男だった。
整った顔立ちだと思う。が、表情が読めない男だと思った。
俺の前にも客がいた。
だからゆっくりと店内を見て回った。
オレンジ色の照明はあまり明るくない。
店はあまり広くないが、外に面した壁の一部がショーケースのようになっていて、様々な漢方薬やレメディに用いられている様々な動植物・鉱物が並んでいた。
「眠り薬をください」
先の客が言う。
それに対して薬屋は「どのような?」と問う。
おかしいじゃないか?思う。眠り薬は眠り薬だ。そうではないのか?
「眠り薬をください」と言ったのは30歳くらいの女だった。もうひとり女がいた。驚いた。今まで気がつかなかった。
「私にも。眠り薬をください」
再び薬屋は言う。
「どのような?」
薬屋の声は低めだが甘く、悪魔の声とはこんな声ではないか?そう思った。
「幸せだった子どもの頃に戻りたいのです」先に言った女が言った。
「もうここにはいたくないのです。どこか遠くへ行きたいのです」もうひとり女が言った。
薬屋は微かに首を傾げた。
「眠り薬を」
「薬が切れると目が覚めます。それでいいのですね?」
薬屋の言葉に俺は頷いた。
肯定したのではない。
夢の中で子どもの頃に戻ったとて、目が覚めて、現実に気がついて、それであの女はいいのだろうか?薬を手に入れるためにわざわざここまで来たというのに、そんな一時凌ぎでいいのだろうか?
ここではないどこかに行きたいあの女も同じだ。
ショーケースに映るふたりの女が重なった。
ギョッとして俺は振り向く。
女たち、女の頭越しに薬屋こっちを見て微かに笑った。
「少しお待ちください」
薬屋はカウンターの奥に消えた。
俺はショーケースの中の干からびたものたちに視線を移した。
「Lachesis」
「毒蛇です」
不意に薬屋の声が耳元で聞こえた。
ギョッとして横を向くと、確かにそこに薬屋がいた。
若い男だった。老成した目をしていた。低い声はどこかしら甘美な響きを含んでいた。口元だけが微かにほほえんだ。
俺はカウンターの方を見た。
女の姿はもうなかった。
「さっきの客は?もう帰ったのか?」
薬屋は肩をすくめた。
「困るんですよ。ああいう客は」
薬屋はそう言って、店の出入口をチラリと見る。
本当にいつの間にあの客(達)は出て行ったのだろう?
「自分が何を必要としているのか?理解してないと、こちらもいい加減な薬は出せないでしょう?」
「確かに」
薬屋の言うことは正しい。
「あなたは、どんな薬をご所望で?」
俺はゴクリと唾を飲んだ。
気がつくと、俺はカウンターの前に立っていた。
「お話をお聞かせください」薬屋が言う。
「ここを訪ねてきたということは、誰かに話を聞いてきたということですね。その誰かにあなたがした話を、僕にも聞かせてくれませんか?」
カウンセリングというやつだろうか?
「そんなたいそうなものじゃないです。単なる答え合わせですよ」
驚いた。声に出ていたのだろうか?
薬屋は口元だけで笑った。
薬屋の瞳には光が見えない。真っ黒な瞳をしている。
その瞳はこちらが何も言わなくても全てを見通しているかのようだった。
だから、答え合わせなのだろうか?
薬屋がすでに知っている正解を、俺が理解しているか?答え合わせをしようというわけなのだろう。
薬屋やカウンターの向こうでお茶を淹れている。
「お気にせず。僕が飲みたいだけです。でもひとりで飲むのもなんですから」
そう言ってカウンターの上に茶碗をふたつ置いた。
どっちを取ってもいいというようにふたつの茶碗は横に並べて置かれた。
「眠れないんだ」俺は言った。
正確にはぐっすりと眠ることができない。
ベッドに入り目を閉じるとすぐに眠りはやってくる。
しかし、些細な音や、夢、光。何かしらで目が覚める。
「おかげで四六時中イライラしている」
僕が飲みたいだけ。と言ったのに薬屋は茶碗を取らない。
俺は右利きだが、わざと左側にある茶碗を取った。
そしてひと口、茶碗の中の茶を飲む。
香ばしく甘味を感じるお茶だった。
薬屋はゆっくりと残った茶碗を手にすると、ゴクゴクと茶を飲んだ。
俺も真似てゴクゴクと茶を飲んだ。飲み干した。
「おかわりをもらえるか?」
そう訊ねると、薬屋は黙って茶碗を取った。
「イライラしているから眠れないのか、眠れないからイライラするのかわからない」
薬屋は2杯目の茶を置いた。
茶碗はひとつだけ。
「どうぞ」
「ありがとう」
そもそも始まりはなんだったか?
誰にここを聞いたんだっけ?
そいつに何を話した?
「あー。ちょっと待ってくれ」俺は言う。
薬屋は何も言っていないのに、俺は何故か問い詰められている。そんな気になった。
「さっきの女は。女たちには眠り薬を出してやったのか?」
「まさか」
薬屋は言った。
「眠り薬は眠るために飲むものだ。子どもの頃に戻りたい。ここじゃないどこかへ行きたい。眠り薬をいくら飲んでもそんな効能はない」
死にたいと書かれた大きな旗をこれ見よがしに振っている女の姿が思い浮かんだ。旗の文字の通りに本当に死にたいのか?それとも誰かにその旗を取り上げてほしいのか?
女は答えを間違えたのだ。
「それに」
薬屋は少しこちらに身を乗り出した。
「本当に欲しいのは『かわいそうだね』と誰かに言ってほしい。愛してほしい。そんなところだ」
俺は茶碗を手にした。
先程より少しぬるく感じた。
「あの女は媚薬とでも言えばよかったのか?」
「さぁ?どうだろう」
薬屋はフッと笑った。
今度こそ本当に喉がカラカラになっていた。茶碗の中身を一気に飲み干した。
「答えは出ました?」
薬屋が声をひそませ訊ねる。
わからなかった。
でも答えが出ないのは寝不足のせいだと思った。
「眠り薬がほしい」
そう言うと、薬屋は「ほぅ」と声に出さずに言った。
「朝までぐっすりと眠れたら、答えがわかるかもしれない」
それは本心だった。
忘れているものやわからないもの。それらを思い出すには眠りが必要だと思った。
「わかりました」
薬屋はスッと左手を差し出した。
そしてゆっくり手を退かすと白い紙に包まれた薬が出てきた。
「眠り薬です」
薬屋は言う。
「コップ一杯の水と一緒に飲んでください。よく眠れます」
「ありがとう」
「いえいえ。これが僕の仕事です」
俺は薬を上着のポケットに入れた。
「答えは正しかったのか?」
薬屋は「さぁ?」と言うように首を傾げた。
「眠り薬は眠るために飲む。ここまでは正解です」
俺は黙って頷いた。
「そこから先の答え合わせも必要になったらまた来てください」
薬屋はそう言うとカウンターの中で頭を下げた。
俺は出口に向かって歩き始めた。
扉に手を掛けて振り向く。
「もしも、あの毒蛇を欲しいと言ったら出してくれるのか?」
薬屋はカウンターの向こうに立ったままだった。
俺はショーケースを指差す。
「答えが合っていたらお分けできます」
薬屋が答える。
俺は頷き、扉を開けた。