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要らないもの

「これ使わないんだけど、捨てるの勿体無いから、アンタ要らない?」
必要ではないけど、捨てられるのは気の毒だ。
気の毒?
モノがそんなことを思うはずがない。
でも…
「貰ってあげてもいいよ」
そう。あなたの罪悪感ごと貰ってあげよう。
バッグ。裁縫セット。フライパン。フライパンなど未使用だった。
不要なそれらがどうしてそこに集まったのだろう?
他にもある。ルーペ。B6サイズの布貼りのノート。etc.
姉の元を訪れるたびに「ねぇ、これ、要らない?」と訊いてくる。
バッグは確かに持ち歩くには大きくて重すぎた。でも、革細工をするための道具を入れて置いておくのに丁度よかった。
裁縫セットは、娘が欲しいと言ったので譲った。使い勝手は悪そうだったが女子力を演出するアイテムには丁度いいのだろう。
フライパンは流行りの低温調理用で、めちゃくちゃ使い勝手がよかった。
ルーペは学校で自然科学部に所属している息子が「これ、すごくいいやつだよ」と言うので譲った。とても喜んでいた。
B6サイズのノートはこうして私の日記帳になっている。
みんな収まる場所がある物だ。
「本当に不要のものもあるでしょ?そんな時どうするの?」
それは不思議と滅多にない。
でも、半年に一度、家の中を夏、冬それぞれの仕様に変える際、溢れたものを学校のバザーに出す。その中には自分で買った物、誰かから貰った物、どうして家にあるのかわからない物いろいろあった。
すると不思議とみんなどこかの家に引き取られていく。
100円とか終わり間際は10円とか、学校に寄附するつもりで支払って、代わりに何かを持っていく。そんな感じなのだろう。
でもそこにはやはり捨てることへの罪悪感がおまけについていることを私は感じる。
なぜならば自分が罪悪感を置いてくるから。
それらを不要と思っていることなのか、そのまま捨ててしまうという行為に対してなのかはわからない。それとも自分の不要とするものを誰かに押しつけてしまうことの罪悪感かもしれない。
でも、ほらこの通り。
案外と収まる場所があるものなのだということも、自分は知っている。
だからこうして誰かに貰ってもらうのも悪いことではない…はずだ。