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【金魚鉢】もしくは『隣人005』#シロクマ文芸部

金魚鉢?
駐車スペースにそれは落ちていた。
置かれていたのかもしれない。
どちらにせよ「何でこんなところに金魚鉢?」である。
アルバイト先であるパン屋。
いつもは早朝の仕込みから焼きまで開店と同時に自分は上がる。
だけど今日明日は、従業員の成瀬くんが実家の法事でお休みなので、昼過ぎでの仕事だった。
午前中の成瀬くんの業務の中にパンの配達がある。
ドイツ料理屋とフランス料理屋。
ランチの前にパンを届ける。
この2店舗のためのパンがある。
その配達から帰ってきたら、駐車スペースに金魚鉢が置かれてあった。
その置かれてあった金魚鉢を持って店に入る。
店長に報告すると「また?」と言われた。
先週、先々週とこれで3回目だという。
「金魚鉢ばかりなんですか?」
「そう。意味わかんないよね」
店長はそう言って金魚鉢を受け取った。
「あれ?」
「どうしたんですか?」
「これってガラスだね?」
金魚鉢だから当たり前ではないか?そう言いかけた。
店長は、売り場の脇にある用具入れに向かった。そして両手に金魚鉢を持って戻ってきた。見るからにその金魚鉢は素材が違うものだとわかった。
「プラスチックというか、割れないヤツ」
先週置かれていたものだという金魚鉢を受け取った。
やはり成瀬くんが配達から帰ってきたら、駐車場に置かれてあったのだという。
「何なんでしょうね?」

「ということがあったんですよ」
「こっちも似た感じのことがあったんですよ」
Kさんに金魚鉢の話をしたら、少し驚いた顔でそう言った。
Kさんが乗った飛行機も滑走路に置かれた不審物のせいで離陸がかなり遅れたのだという。
バイトから帰ってきたら、隣の家に住むKさんと会った。
バイト先から貰ったパンで昼食をと思っていたので、Kさんを誘うと「お言葉に甘えて」と出張土産のお茶を持ってきてくれた。
まるでKさんが来るのを知っていたかのように、店長はサンドイッチをたくさん僕に持たせてくれた。
Kさんの話によると、滑走路に水の入った水槽のようなものが置かれていたのだという。
「最悪、液体爆弾を想定しての撤去作業で、とても時間がかかったんだ」
「液体爆弾?」
Kさんは頷きながらも「よくわからないけどね」と言った。
3本ある滑走路の1本が塞がってしまい空港はさぞ大変だったろう。とKさんは言った。
「自分たちが飛行機に乗ってからそれに気づいたからね。30分ぐらい飛行機にいて、その後降りて空港で待機」
Kさんは肩をすくめた。
出発は3時間遅れたという。
「それで、その水槽は何だったんですか?」
卵サンドを口にしたKさんは「さぁ?」というように首を傾げた。
僕は密かにKさんが卵サンドが好きだということを知った。
今までも何度かこうして一緒にパンを食べたが、卵サンドに手が伸びることが多い。
いつもは大人に感じるKさんに感じる「かわいい」属性だ。
「懸念された液体爆弾でなかったのは確かだけど、誰が何のために置いたかは不明だし、どうして滑走路に置かれるまで誰も気が付かなかったのかも謎だよね」
Kさんは「管制塔だって見ていたはずなのに」と言った。
「そういえば」
「何か?」
「店の裏側が映る防犯カメラがあったはず」
誰が金魚鉢を置いたかはわかるかもしれない。
「どうする?」
「え?」
「金魚鉢が歩いてきてたら」
Kさんがクスクス笑う。
「何ですか?その冗談」
Kさんはクスクス笑いながら、卵サンドの最後のひとつに手を伸ばした。