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【子どもの日】#シロクマ文芸部

子どもの日だというのにその村には子どもの姿はなかった。
その代わりというかのように、どの家でも鯉のぼりが風を受けてたなびいている。
「今年もよろしくお願いいたします」
村長が頭を下げている相手は、渡り祭祀のモチヅキだった。
「お任せください」
子どもたちは昨日から皆旅行という名で村から避難させている。
この辺りでは大昔からサツキ様と呼ばれるカミが端午の節句に贄を求めて現れるという。
現に、昔から幾人もの子どもが行方不明になっていた。
「サツキのカミ様の贄探しをモチヅキ殿に教えていただいたおかげで、こうして今の村があるのです」
村長の言うモチヅキはもう50年ほど前にいた人物で、現モチヅキはその孫に当たる。

サツキのカミはこの一帯の土地神である。
それがいつの頃から贄を求めるようになったかは定かではない。
古い書物にあるのは当時の村長むらおさが自分の息子を贄として佐津姫乃神さつきのかみに捧げたというものが贄に関する最初の記録だった。
その後何度かサツキのカミは贄の記録と共に登場する。
いつからか佐津鬼神と記されるようになり颯鬼神と変わっていった。
そして明治に入る頃サツキノカミとなり、贄の記録は一度途絶えた。
それから二十数年後から再び「サツキのカミ」が村の記録の中に出てくるようになった。
しかも毎年のように出てくる。
それまでの記録と違うのは贄を捧げた記録がなく、端午の節句前後に現れる怪異として「サツキのカミ」の名前が出てくる。
風の怪異。鯉のぼりがバタバタと音を立てるほどの風が吹く。その風は一方方向からではない。まるで風が何かを探しているかのように村中を駆け抜ける。そして、パタリと止む。風が止んだ後、気がつくのだ。子どもがひとりいなくなったことを。
いなくなる子どもは8〜10歳が主だった。その年頃の子どもがいない時はその前後。毎年必ず子どもがひとりいなくなる。
「神隠し」
年号が二度ほど変わった。
大きな戦争があった。
地方の小さな村にはそれらはあまり関係はなかった。
それよりも子どもが消えることの方が、小さい村には問題だった。
そんな時渡り祭祀を名乗る男が村に現れた。
「怪異、ですか?」
「そう。例えば、神隠し」
村長の顔色が変わった。
「ここはかつて神の贄を捧げていたという記録があります」
「なぜそれを?」
村長は顔を強張らせた。
「古い村の記録の中に望月という名前を見たことはありませんか?」
男は言った。
「ある」
「私の名もモチヅキと言います」
村長は男の顔をまじまじと見た。
「私は記録の中の望月の血筋の者です」男は言った。
贄を得ることで神は変質してしまうのだと、モチヅキはいった。
「神は元々は人の思い、神を敬いそして神と共に生きようとする人の思いで十分なのです」
やがて人は、自分たちの平安もしくは豊かさを得た御礼・・として目に見えてわかりやすいものを神に捧げるようになった。それは実りを得た米や果実の場合もあるし、狩りで得た獣肉の場合もある。神は自然の摂理を守るもの。時には人にとって不都合な状態になる場合もある。
「雨が降らなかったり、降りすぎたり。暑すぎたり、寒すぎたり」
それは一見異常な状況に思えるが、自然としてなるべくしてなるものである。
「しかし、それは人にとっては都合の悪い状況」
人は自分たちの中から弱い者を選び、贄として神に捧げ、一日でもはやく、自分たちに都合の良い状態に戻してくれと神に祈るようになった。
「先に言ったとおり。神は人の思いを好むもの」
神は願いを聞き入れた。
そして、いつも備えられる食べ物と同じく贄を喰らう。
「人の味を知るたびに、神は変わってしまうのです。人の味を得たいがために、自然の摂理を曲げるものまで出てきてしまう」
「サツキのカミもそうだというのですか?」
「残念ながら」
随分と長いこと贄を喰らい続けたのだろう。
この村は平家の隠れ里という話がある古い土地だった。
贄の記録が最初に見られるのは800年ほど前。
そして「望月」の名が記される江戸時代の末期1800年代までの600年程の間、事あるごとに贄は捧げられてきた。
「望月がそれを止めるようにと告げ、荒神となった佐津姫乃神を封じた」
それが幕末の頃。しかし、望月の死によりその封印が解け、サツキのカミは贄を求めて怪異を起こした。それが明治に入ってからの怪異としてのサツキのカミだった。
「子どもらの成長を祈る端午の節句にその祈りを頼りに、かつて贄に出された子どもを求めるようになった」
モチヅキは言った。
終戦から3年後。端午の節句は「子ども日」という国民の祝日に変わった。
「この子どもの日に、サツキのカミが子どもを攫うことのないよう、子どもの代わりのヒトガタをサツキのカミに喰らってもらうことに致しましょう。なに、人を喰らっていた年数分ヒトガタを喰らっていたら、サツキのカミもまた変わることでしょう」
「変わる?神になるということですか?」
「わかりません」
村長の問いにモチヅキは素っ気なく答えた。
「600余年かけて変貌したものが10年20年で元に戻ったり、新たなものへの変貌など期待できるわけがありません。そんな遠い未来のことは私もあなたも思い悩んだところで何もできません」
モチヅキの言うことはもっともだった。
「ただ、これから長い間続けていく必要があることを次の世代に確実に伝えるということが、私たちの果たさなくてはならない役目だと、私は思っています」
モチヅキの言葉に村長は大きく頷いた。

それから70年近くが経過した。
昭和になって現れたモチヅキから数えて3代目のモチヅキはまだ若い。
モチヅキも名前ではなく渡り祭祀の中でモチヅキの血を受け継ぐものとしての称号のようなものになっていた。
ヒトガタを喰らわせるのは、子どもたちが村にいない方が確実さを増す。
万が一子どもの気配を感じて、子どもを求められてはいけないので、昭和の頃から中学生以下の子どもたちはモチヅキと入れ替わるかのように村を出ていく。
鯉のぼりはサツキのカミの居場所を教えてくれる大事な役割を果たしていた。
「子どもたちは皆春の旅行に出て行きました。今年もよろしくお願いします」
村長は先月の選挙で村長になったばかりの村長が頭を下げる。
遠くに風のたつ気配を感じながらモチヅキがヒトガタを前に呪を唱え始めた。