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【雪化粧】#シロクマ文芸部

雪化粧をしたところでその場所の黒さは隠れようがない。
曇空の下。渡り祭祀は真っ白な封鎖地域を丘の上から見下ろした。
神無子かみなご」と呼ばれるモノが住まう地。
神無子は本来ならば、この地にはいてはならない。
神無子は神無子の世界にいなければならない。
それは人が人の世界にいるのと同じ理由。
役場の担当が「人のような何か」と言っていた。
「そもそも。あれのどこが人に似ているんだ?」
渡り祭祀のモチヅキが呆れたように言う。
手足のついている場所が同じというだけで明らかに異形である。
もっともこの距離で神無子の姿を見ることができるのは祭祀であるモチヅキとフジだけだ。
「なぁ。フジ。どうする?」モチヅキが訊ねる。
「あそこはすでに彼方側かもしれないなぁ」
モチヅキがそう言うと、フジは手にした錫杖をりんと鳴らした。

映し出された映像の中に神無子はいた。
映るモノなのだ…と奇妙に感心した。
こちらには無関心な神無子の前をドローンが飛行しているのだろう。
時折カメラを見ているようにも見える。
目鼻口の位置も人とは変わらないように見える。が、バランスが違う。
口が大きすぎたり、首が長すぎたり。肌の色が白すぎたり、赤かったり、青だったり。
まるで手入れのされていない庭にいつの間にか生えてきた奇妙な植物のような印象を受ける。
多くは派手な着物を着ている。
雪が降っているというのに薄地の着物だ。
そこにいるものは意思を持って動いているようには見えない。
水に流される海月のように、何かに押されるように漂い、時には何かに引っかかっているようにその場に佇む。
それだけだった。
神無子がいても問題はなさそうだ。
フジはそう思った。
どうせ人のいない場所だ。
「原発の事故であの辺一体は立ち入り禁止になっているんです」
依頼人である役場の担当は言う。
年齢は三十代半ば。背は高いが猫背で、今時珍しくワイシャツの上に、黒い腕抜きをつけている。掛けているメガネも少しだけ古くさく見える。
「原発?事故?」
「大きい声では言えないのですがね」
大きな被害を齎した震災を起因とする原発事故が起きた2年後。試運転中の原発で人為的な事故が起き、周辺は立ち入り禁止区域になったのだという。
「マスコミにも伏せられていますがね。あの辺りの人々は峠を越えた新しい町にそっくり移住しました」
避難を余儀なくされた人々から情報が漏れそうなものだ。
「あそこに住んでいたのは、ほとんどが原発関係者でしたからね」
役場の担当者はひっそりと言った。
封鎖地域の状況はドローンを使ってこまめに撮影・監視されているのだという。半年前のことだった。
「そこに人が映っていたのです。幾人も」
「幾人ねぇ…」
「これはいったい何なのですか?」
「神無子。と我々は呼んでいます」
「カミナコ…妖怪ですか?」
「正確には違うけど、そう思ってもらっても構わないですよ」
モチヅキがそう言うと、役場の担当は「カミナコ…」と呟いた。

此方と彼方の境界を守るのも祭祀の役目のひとつだ。
丘を降りたふたりは車で封鎖地域の入り口まで来た。
入り口といっても封鎖地域はぐるりと鉄線で囲まれているだけで入ろうと思えばどこからでも入れる。ただ、そこは封鎖地域に繋がる道路であり、開けるつもりのないゲートが作られていた。
さっきまで空を覆っていた厚い雲はいつの間にか姿を消し、代わりに青空が広がっている。
車の中からゲートの向こうをモチヅキは見ていた。
「真っ白だねぇ」モチヅキが言う。
封鎖地域の中は薄っすらと雪が積もっている。
誰も立ち入ることがないそこは白い世界だ。
「どういうことだろうねぇ」
神無子はそこにいるだけの存在で、特別な力を持っているわけではない。ただ、自分らに危害を加えようとするものには容赦はない。
真っ白な光景をフジも黙って見ていた。
モチヅキは車を降りた。
車の中はエアコンでひんやりしていたが、外は容赦ない日差しがさしている。
ゲートの下から手を伸ばして、白い雪に触れた。
確かにそれは雪だった。
「8月に雪とはね。もうここは彼方側になってしまったのかもしれない」
モチヅキが言う。
「これ以上此方を侵食しなよう、境界をしっかりとさせないとダメだね」
「御意」
フジが応える。
「ここを全部覆うのは難儀だなぁ」
モチヅキはふぅっと大きく息を吐いて「出直そう。僕らだけでどうこうできるモノじゃない」そう言って車に戻った。
フジも後に続く。
「案外と僕らが知らないだけで、こんなところは他にもあるかもしれない」
助手席のモチヅキの言葉にフジは頷いた。
ミラーに映る封鎖地域の白色がやたらと眩しく見えた。