見出し画像

Nの背中

急な知らせを聞いてただただ俺はその場に立ち尽くした。
Nが死んだという。
俺らの年齢なら、そろそろ急な知らせを聞くこともある。
それでもそれは病気だったり、事故だったり。仕方がないとか、不運だとか、自分の受けたショックを誤魔化す言葉があることが多い。
「どうして・・・」
Nは自死を選んだのだろう。

Nは長年仕事を共にしていたチームのメンバーだった。
20年以上同じ目的のために仕事をして来た。
それがバラバラになって5年。再び改めてチームを組む中にNの名前もあった。再会を楽しみにしていた。いや決して5年間会わずにいたわけではない。Nの活躍は伝え聞こえて来ていたし、同じ職場にいるのだから、顔を見ることもあった。ただ、以前のようにじっくり話をすることはなく、すれ違いざまに挨拶をして別れる程度だった。

Nの死を聞いて、一番最初に浮かんだのはNの背中、後ろ姿だった。
小柄なNの背中はどこか寂しげで、その背中を見かけると追いかけて並んで歩きたくなる。すれ違いに笑った顔を見ても、振り向いて見るその背中はさっきの笑顔を打ち消すような寂しさを感じさせた。
チームの中でもNはひとりでいることが多かった。
はみ出しているわけでも孤立しているわけでもない。
Nはいわゆる「斥候」といった感じで、先行しては足場を確認して準備をするのが役割で、チームは彼の立てた旗を目印に前に進んでいたようなものだった。
だから俺たちの前をNが行く。俺たちはいつもNの背中を追いかける。
「じゃあ、お先」
いつでもそう言って背中を向ける。仕事に向かう時も、帰る時も。
その背中がいつも寂しそうで、だから俺はいつも全力でNを追いかけていた。

Nはこの5年間、まるで自分が立てた旗をひとつずつ回収しているように見えた。
次のチームが仕事をしやすいように、自分たちの仕事の跡をひとつずつ拾っては仕舞う。その必要性が俺にはわからなかったが、かつての仲間が言った。
「時代に合わせていかなくちゃならないから、仕方ないよ」
そういうものなのだろうか?
「俺たちがどうのというわけじゃない。だから新しいプロジェクトにまた俺たちが呼ばれたんだ」
「Nも回収した旗をまた新しい場所に立てるのを楽しみにしてるよ」
「旗の回収も次の仕事の大事な準備だと言ってるよ」
そんな話を聞いていたのに。
新しいチームにNだけがいない。
誰がNの代わりをする?誰がNの代わりになれる?

少しはにかんだような笑顔の写真。
すれ違いざまに見る笑顔に似ていた。
遺書らしいものは何もなかった。
長年書いていた日記にも、悩みは書かれてあっても自死に繋がるような文言は見当たらなかった。むしろこれから始まる新しいプロジェクトを楽しみにしている言葉もあった。
Nは薬を飲んで死んだ。鎮静剤だった。病院から処方された薬だった。
かつてチームで共に仕事をしていた頃から飲んでいた薬だという。
ちっとも知らなかった。
それを一気にではなく、時間をかけてひとつひとつ飲んだらしいと誰かが言った。
・・・あぁ。
あの背中の寂しさをどうしてやることもできなかった自分を悔やむ。
小さな背中を少し丸め、すり足気味だけど歩幅が大きく、足早に去って行く。
愛想良く「じゃあ、お先」そう言って部屋を出て行くそのままに、Nは俺らの前から姿を消した。
何度かその背中を見送り、何度かその背中を追いかけた。
その背中はもう見えない。追いかけることもできない。
Nの背中を思い出す。