見出し画像

「隻眼の山賊と大鴉亭」

誰の趣味だかわからないがその店の名前は「隻眼の山賊と大鴉亭」という。
建物は煉瓦造りのように見えるが、果たして本当に煉瓦だろうか?この辺は地震が多い。煉瓦建築に合わない土地柄だ。
5月の終わり。
夏と呼ぶにはこれからの梅雨の季節のことを思うとまだ早いが、その日は昼間が妙に暑く、日が沈んでからも建物の中に暑さがこもっているのか、あちこちでいまだに窓が開いている。
この店もそうだ。
主人の後ろにある窓はカーテンこそ閉めてはいるが窓は開いていて、カーテンが微かに揺れる。
「隻眼の山賊と大鴉亭」は修理屋である。
なんでも修理する。
店の中に持ち込めるものならなんでも。本や玩具。玩具もぬいぐるみ・人形から、最新のゲーム機器。テレビやラジオ。時計。指輪。携帯電話も昔のダイヤル式電話も。椅子を直してもらったという人もいるし、割れた茶碗を金継ぎしてもらったという人もいる。
定岡が頼んでいたのは壁時計だった。
鳩時計、と言いたいが、中から出てくるのは白いふくろうだった。
そのふくろうが出てくるはずの扉が閉まったまま開かなくなっていた。
カウンターの向こうで主人がネジを巻いてみせる。骨ばってはいるが長い指だ。
時間はもうすぐ3時という状態だった。
秒針が動き、長針がカタリ揺れて12を指す。
するとカタリと扉が開き少しよろめきながら白いずんぐりとしたふくろうが現れ「ホーゥ、ホーゥ」と二度鳴くと、今度はよろめかずに扉の中に入っていった。
ふくろうはいつ何時でも2回鳴く。
「こんなもんかなぁ」
主人がつぶやく。
「ありがとございました。祖父の形見なもので」
「うん。それを持ってきた時もそう言っていた」
定岡は持ってきた時と同じように、畳んで持ってきたエアパッキンに丁寧に包んだ。
主人は両手を上げて、「うん」と背伸びをしていた。
「さて、今日はあんたが最後のお客だな」
定岡は驚いた。
まだ太陽が沈みきっていないという状況だ。いつも結構遅くまで店に電気はついていた。
「娘が来ていてね。今日は得意のカルボナーラとやらと作ってくれるんだそうだ」
主人は定岡の父親と同じくらいの年齢だ。
料理を作ってくれるような娘がいてもおかしくない。と定岡は思った。
でも今までほんの少しもプライベートなことを口にすることはなかった。
「いいですね。カルボナーラ」定岡は言う。
「うまいのかい?」
「美味しいですよ」
「俺は初めて食べる」
「チーズと卵とベーコンで作るシンプルだけどしっかりとした味わいのパスタです」
定岡はカルボナーラが好きだった。
「なんだか自分も食べたくなりました。カルボナーラ」
そう言って、エアパッキンで包んだ梟の壁時計、を持ってきたバッグに入れた。
「誰か作ってくれる相手でもいるのかい?」
主人がそう言ってニヤリと笑った。
「いえいえ。僕が作るんです」
定岡がそう答えると、主人はまたニヤリろ笑った。
「僕のもそこそこ美味いんですよ」
と定岡が言ったところで「そうかい、そうかい」笑っていた。
「あぁ、そうそう」
主人がポケットから何やら取り出した。
「おまけ」
小さなペンライトだった。
定岡が受け取ると、「軸を回すと電気がつく」と言った。
言われた通りに軸を回すと先の豆電球に明かりがついた。
「単四」
それが電池の大きさだと定岡が気がつくまで少し間があった。
「お店のノベルティですか?」
「ま、そんなところ」
定岡が代金を支払って出口に向かう。
主人が立ち上がって窓を閉めるのが見えた。
娘の手料理がそんなに楽しみなんだ。と定岡はなんだか嬉しくなった。
定岡も家に帰ったらカルボナーラだ。そう思った。
「ありがとうございました。また何かあったら来ます」
「あぁ」
日が隠れた空の下、まだ窓の開いている家がいくつかあった。
それらの窓から溢れる灯りを見ながら定岡は家路についた。