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【73アナログレコード】#100のシリーズ

収納スペースの白いボックスには父のコレクションだったアナログレコードがある。
演歌を「辛気臭い」と言っていた父は、映画音楽や、カントリーウエスタンを好んで聴いていた。
自分が中学生の頃、中古のアナログレコードを売っている店に何度か一緒に行った記憶がある。
その時、父が何のレコードを買ったかは覚えていない。
でも、父がレコードをかける前にコーヒーとおやつを用意して(父はたいそうな甘党だった)、レコードにスプレーをかけ、専用のブラシで丁寧にその面を拭くと、そっとプレイヤーに乗せて針を置く。
そして自分は座椅子に腰を下ろす。
プツプツ言っていたレコードが曲を奏で始めるころ、父はコーヒーをひと口飲む。
その一連の様子は今でも覚えている。
自分が20歳の時、父が死んだ。
急な病だった。
父は多趣味で、父の兄弟たちは形見分けと言って、父の釣り道具やカメラを持っていった。だけどアナログレコードには誰も見向きもしなかった。
それから5年後。住んでいた家を区画整理で引っ越さなくてはならなくなった。
その際、母と兄は父のオーディオセットを始末する話をし出した。
もちろんアナログレコードも「捨ててしまおう」と言い出した。
「持っていても仕方がない。聞くこともないのだから」
ふたりは言った。
確かに。父が亡くなる少し前からアナログレコードは販売されなくなっていた。レコードプレイヤーの製造中止の話もよく耳にした。
父ですらCDを買おうか?と悩んでいた。
「針もなくなったら終わりだからなぁ」
引き出しの中の予備のレコード針はその時2本だった。
オーディオセットは無理だったけど、アナログレコードの入った箱は自分の荷物に混ぜることができた。
それから20年。
自分も結婚した際、完全に家を出た。家を出る際、父のアナログレコードを持って出た。
新居はアパートだった。そこで3年。その後子どもが生まれ家を買った。
その家にも父のアナログレコードの入った白い箱を持ってきた。
3畳にも満たない自分の趣味スペースの収納の隅に白い箱は納められた。
ここ数年、アナログレコードプレイヤーが再販されている話を聞く。
でも、それを買う余裕が自分にはない。
金銭的なものでも、場所的なものでもない。(いや。場所の問題は多少あるか?)
レコードを聞くというのは音楽を聴くということで、何かのついでにではいけないような気がしている。
純粋に音楽を聴くためだけの時間。気持ち。それが今の僕にはない。
ふたりの子どもが大学を終えたらそういう余裕も出てくるだろうか?
「ふぅ…」
かつての父のようにコーヒーと甘い菓子を用意してPCを立ち上げる。
アナログレコードをケアする道具(かつて父が使っていたブラシ等)をネットショップで見つけて、ショッピングカートに入れる。
せめて今はしまいっぱなしになっているアナログレコードたちの手入れをしよう。そう思った。
いつか、再び、父の聴いていたアナログレコードをプレイヤーに乗せる日が来ることが、今の自分のささやかな楽しみだった。