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【始まりは】#シロクマ文芸部

始まりは何だったろう?
僕の家の前の国道と、彼女の家の近くの国道が同じかどうか?
あぁ、そうじゃないな。
それは結婚する前にした喧嘩だ。
飼っていた猫の首輪の色…赤にしようか青にしようか。結局友人の送ってきた派手な金色を猫が気に入ったんだったな。
カレーにじゃがいもを入れる入れない。
AppleとAndroid。
ショートケーキとチーズケーキ。
僕らはいつも意見が合わない。
喧嘩にならない喧嘩ばかり・・・だった。
「こんなことになるなら、とっとと離婚すればよかったんだよ」
見舞いに来た友人が言う。
喧嘩の果て、彼女=妻に刺された。
「まぁ、退院したら別れるよ」
そう言った僕に友人は「やれやれ」と口に出して言った。
「いつでも喧嘩ばかりでどうして付き合っているんだろう?と思ってた」
「そうなんだ」
知らなかった。
誰も僕たちに、少なくとも僕にそういうことを言ってはこなかった。
「起訴しないんだって?」
「だって夫婦喧嘩だよ?」
「そうだけどさ。一歩間違えば死んでたんだぜ?」
「まぁね」
猫は僕の妹が引き取っているという。なら安心だ。
男女の喧嘩は、女の方が弁が立つなんて言われるけど、僕たちの場合、先に言葉に詰まるのは彼女の方だった。
大抵は財布と鍵と携帯を持って、彼女が家を出て行く。
探しに出ることもあった。
だけど結婚して2年経過する頃からは帰ってくるのを待っていた。
妻も、僕が仕事に出ている間に戻るのではなく、僕が仕事に出る前、帰ってきた後に家に戻ってくる。
バツの悪い顔は一瞬だけで、すぐにいつもの顔になる。
そして、どちらも謝らない。
「やれやれ、困ったものだね」
友人は2度目のやれやれを口にした。
多分だけど、彼女とぶつかるのが楽しく思えていたんだと思う。
くだらないことで言い争って。
「でも楽しかったのは僕だけかもしれないな」
いつもはプイッと出て行く彼女が、ゴソゴソと何かを支度した後僕の目の前に立った。
「本気じゃない」
彼女はそう言った。
「私をいつも馬鹿にしているの?」
そんなつもりはない。そう言ったと思う。
どちらかの主張が間違っていたら、少なくとも僕が間違えていたら謝る。でも、そういうことは滅多になかった。間違いのない言い争い。それに対して何をどう謝ったらいいのか僕はわからない。そもそも謝る必要があるのだろうか?彼女も同じように思っているのだろう。彼女も僕に謝ることはない。
ただ、次の瞬間には彼女が僕に激しくぶつかってきた。
ぶつかっただけではなく、彼女が手にしていたナイフが僕の腹に刺さった。
痛いと思った。
抜こうとする彼女の手を押さえていたのは覚えている。
だけどすぐに視界が暗くなり、次に気がついた時は病院だった。
彼女はナイフを抜くのを諦めたのだろう。
上から倒れる僕を見て急に怖くなって119番に連絡をしたのだと、警察が来て話してくれた。
「本当に別れるのか?」
「んー。彼女は俺に会いたくないだろう?」
「おまえは?」
「うーん。どうなんだろう?」
正直わからない。
このまま会えないのは寂しいかもしれないが、是非とも会いたいとも思わない。
「だって、また刺されたら嫌だろ?」
友人は「やれやれ」と言いたそうな顔をしたが、言葉にはしなかった。
刺される前に何を言い争っていたのか忘れてしまった。
でも、忘れたのはそれだけではないような気がする。
それが何なのか、ちっとも思い浮かばないけれど。