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明日から夏休み

仕事をするようになって間もない頃だった。
地方のイベントの手伝いに駆り出された夏の日。移動中の車の中は冷房が効いていて涼しいが、外は陽炎が揺らいでいる。
まだ10時前だ。
小学生が一斉に校門から出てきた。
みんな手にたくさんの荷物を持っている。
あぁ、今日は終業式だったんだ、と思った。
中には保護者が待っていて、両手から荷物を預かる姿もあった。
「まだアサガオとかヒマワリとかやっているんだ」
思わず声が出た。
「意味あるのかね?」
そう言ったのはレンタカーを運転していた同じく助っ人として参加する会社の先輩・東館さん。先輩はこの町の隣(正確には隣の隣)の町の出身で、土地勘があり、毎年イベントの助っ人として駆り出されているとのことだった。
「種植えて、双葉が出て、本葉が出るともう学校で観察しないじゃん。夏休みの宿題に観察日記とかあったりしたけど。はじめから家でやるのでよくない?」
東館さんは言った。
「まぁ、そうですね」
「ゆとり世代?」
「途中からですが、ほぼゆとりです」
「なるほどね」
「高校入ってヤバかったです」
「何が?」
「ノートとかほとんど小中で取ることなかったから勉強の仕方がわからなくて」
「あぁ…わかる」
「東館さんは違いますよね」
「あぁ、俺はね。兄貴の子どもがね、全然ダメだったんだよね」
東館さんには歳の離れたお兄さんとお姉さんがいるという。
「俺、12歳で叔父さん。俺と兄貴の歳の差と、俺と甥の歳の差と一緒」
「それはなかなか…」
「だろう?」
歩道橋のある大きな交差点だった。信号待ちで再び歩道に目を向けた。
黄色い帽子を被った男の子だった。自分の地元と一緒ならば一年生だろう。自分の地元は一年生の時だけ交通安全の黄色い帽子を被っている。
両手に荷物。朝顔の鉢まで持っている。
「俺らの時は低学年はハーモニカだったんだよね。今はっていうか、俺の3つ下から低学年から鍵盤ハーモニカなんだよね」
と東館さんが言う。
「鍵盤ハーモニカ?」
「ほら、あれ」
運転席から歩道の一年生を指差す。右手に楽器ケースのようなものを持っている。
「あれってピアニカじゃないですか?」
と言うと、東館さんはふふんと笑った。
「ピアニカは商品名だよ。ちなみに俺たちはメロディオン」
「知らなかった」
「あんなの家に持ち帰っても吹かないっつーの」
その言葉に無言で頷いた。
「あ!」
思わず声が出た。
歩道の一年生が両手の荷物を放り投げた。
落としたのではない。手前に放り投げたのだった。
「おっと」
東館さんも思わず声が出た。
男の子は投げ出した荷物をしばらくぼんやりと見ていた。
信号が変わって、車は動き出した。
「近所の子なら迷わず乗せたな」
東館さんは言った。
「全部ぶち撒けたように見えて、きちんと鉢は静かに地面に置くあたり、彼は冷静だよね」
東館さんは歩道橋の陰になってすっかり見えないあの子を、それでもミラー越しに見ているようだった。
「それにしても今の学校はどうなっているんだ?」
東館さんが言う。
「俺らの時は使わなくなるとその都度少しずつ持ち帰らせたんだけどね」
「そう言われると自分たちもそうだったかもしれない」
「二学期は鉢がない分、楽なんだよな」
「そうです。アサガオもヒマワリも家に置きっぱなしでいいんです」
「楽しい夏休みの前の地獄だよ」
「全くです」
しばらく車を走らせていたらまた小学生の姿が見えた。
だいぶ大きなふたり組だった。
ひとりの子が両手にたくさん荷物を持っている。もうひとりの子が大きめのノートのようなものでその子を扇いでいる。
電柱の側でふたりは立ち止まった。
荷物を持っていた子が、道路に全てを置くと、おもむろにふたりはジャンケンを始めた。
「なるほどね」「なるほど」
車内でふたりの声がハモった。
ふたりを追い抜きざまにジャンケンの勝負がついたようだった。
どうやら立場は逆転したようだった。
ミラー越しにふたりが見えている間はずっと様子を見ていた。
「とにもかくにも夏休みか」
「そうですね」
「もう、随分と遠くなったなぁ」
そう言う東館さんの声は、だけどどこか清々しく聞こえた。