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【63俳句】#100のシリーズ

『靴下が こたつ捲れば またひとつ』

『解せぬなり 何故いっしょには 出てこない』

そう言って母はポイと靴下を片方放り投げた。
「何?それ」
「今の気持ちを読んだまで」
「・・・」
「今朝もさ、片方見つけて、片方どこだろう?と思ってたんだよね」
「でも、それって掃除していないってことだよね?」
「この状況で?」
母が固定している左手首を見せる。
そうだ。腱鞘炎の手術をしたんだ。
1週間ほど固定。抜糸が済んだらリハビリ。
「あんたの靴下なんだから、洗濯物の籠に入れてきて」
母はこたつに深く入るとこたつ布団をキュッと引っ張る。絶対に出てやるものかとアピールしているのだ。
「なんか腹が立つ」と言ったら「お互い様」と言われた。
手首の固定でいろいろ思うようにいかないせいか、ここ数日母は機嫌が悪かった。
外では雪が降っている。
このまま降り続くようだと雪かきをしなくてはならない。
奇妙な沈黙。
「夕飯、何にする?」
ようやく問えば、「何食べたいの?」と逆に訊かれた。
「カレーかな?」
「いい子だね。レトルトあるよ」
日帰り手術に日から、ずっとレトルト・インスタントばかりだ。
「お弁当でも買って来る?」
どうやら顔に出ていたらしい。
「いや。レトルトでいいよ」
そう答えたら、母はごそごそとこたつから抜け出て台所に向かった。
後を追う。
「米ぐらい、炊けるようになってみるか?」
「おう」
母の言う通り米を研ぎ、目盛り通りに水を入れ、炊飯のスイッチを押す。
たったこれだけのこともやらずに今日まで来たのかと思った。
「『いつまでも あると思うな 親と金』ってね」
「なんだよ?それ」
「定型句?昔からあるんだよ。定番」
「いやな感じ。誰が考えたんだよ」
その言葉が真実だと思うとグサリとくる。
うちは母ひとり子ひとりだ。
「うーん…誰だったろう?」
母は本気でわからないようだった。
『まぁいいか 言ってることに 間違いないし』
そう言いながら、母はレトルトカレーを取り出した。
「待って。オレ、カレー作る。作り方教えてくれよ」
一瞬、母は目を丸くして驚いた。
「肉がない」
母は言う。
「たまにやろうと思えばこれだよ」
「たまに、って初めてだろう?あぁ、だから雪降ったんだ」
「ひでぇな」
母はクスクス笑った。
「鯖缶カレーでいい?簡単だよ」
鯖缶カレーは最近になって食卓に上がるようになった。
キワモノかと思ったらなかなかイケる。
「鯖缶カレー。お願いします」
わざとらしく頭を下げた。

『初めての 鯖缶カレー 旨かった』

食べ終えて、皿を洗いながらつぶやいた。
「まんまだねぇ」
背後で母の声がした。
「それに季語がないから俳句じゃない。川柳だし」
「母さんのだって、そうだったじゃないか?」
「『炬燵』が季語だ」
「最初のだけじゃん」
「バレた?」
母は薬罐でお湯を沸かし始めた。
「お礼にコーヒーを淹れてあげよう。カレーの後はコーヒー飲まなくちゃ」
母は冷蔵庫からコーヒーを取り出す。
それは母の好きなブレンドだった。

『名残り雪 カレーの後味 消すコーヒー』

最後の皿を拭き終えて言えば、「まんまだよ」と母は笑った。
その声を聞いて、なぜだかキュッと泣きそうになった。