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【ソファーの下の浜辺】後編#妄想レビュー返答

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の続き

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先生は弟が起きたら夕食にしようと言って部屋を出て行った。
僕はもう一度ソファーの下を覗きに行った。
海はさっきと変わらず遠くに見えた。

夕食はいつも僕と弟と先生の三人だった。
お祖父様が家にいるときはお祖父様も一緒だけど、滅多に家にいることはない。
一緒の夕食は楽しいけれど、いないことを寂しいと思うことはなかった。
三人の食事の時は、先生がいろいろ話を教えてくれる。
「星砂は砂じゃないんだよ」
先生が言う。
「あれは生き物。生き物の殻なんだ」
「貝殻と一緒?」
「大雑把に言えばそうだ」
昼間の御園さんが「貝じゃないけど」と言っていたのを思い出す。
「ホシズナ、バキュロジプシナという有孔虫という原生生物だ」
「原生生物?」
「あとでホシズナの生態が載っていそうな図鑑を見つけておこう」
弟の部屋の図鑑はみな先生が買ってきてくれたものだ。
先生はホシズナは南の方の浜辺に流れ着く話を教えてくれた。
ならばあの海は南の海なのだろうか?
弟も目を輝かせて聞いていた。

その日、初めて夜になってからソファーの下を覗いて見た。
夜はソファーの下を覗いても暗くて海は見えない。
でもそこに海があるのは伝わってきた。
隣でしゃがみ込んでいた弟にも海の気配は伝わっているのだろうか?

翌朝、弟の部屋に行くと、弟は起きてソファーの下を覗き込んでいた。
そして徐ろにソファーの下に潜ろうとしているのを見て、僕は慌てて駆け寄った。
弟の持っていたぬいぐるみを掴み、続いて腕を引っ張る。
「危ないよ」
そう言うと弟はこちらを振り向いた。
海は昨日と同じようにそこにあった。
届きそうで届かない海。
「あれ」
ソファーの下を指差す。
昨日拾った瓶とは少し違うガラスの何かが見えた。
「波が来るのを待とう」
僕と弟はソファーに座って波が出てくるのを待った。
5分も待っただろうか。波がガラス玉をソファーの下から押し出した。
僕はそれをそっと持ち上げた。
直径は15cmほどだろうか?思ったよりも軽くて驚いた。
いつか見た釣り船の「浮き」にしては小さいような気がした。
そのガラス玉を日に当ててなんとなく揺らした。
「!」
弟と顔を見合わせる。
キラキラ、というか、ポコポコ、というか、不思議な音がした。
そしてまるでそのガラス玉からこぼれ落ちたかのように、紅色をした扇形の貝殻落ちた。
弟が慌てて拾い上げる。
「え?」
ガラス玉が小さくなったような気がした。気がしたではない。確実に小さくなった。
僕は慌ててガラス玉を弟に渡した。
もしもこのままどんどん小さくなって消えてしまうなら、その前に弟にも触れさせたかった。
弟は「いいの?」と言うように僕を見る。
「振ってごらん」
弟が振ると再び、キラキラ、ポコポコという不思議な音がした。
白い骨のようなものが落ちた。
弟が声のない悲鳴を上げる。
僕は用心深くそれを拾い上げた。
「貝だよ」
そう言った自分もホッとした。
魚の骨にも似たそれは、よく見るととても綺麗な貝だった。貝も移動することがある。この貝がもそもそ動く様はどんな感じなのだろうと気になった。
「あ!」
弟が小さく声を上げた。
弟の手のひらの上、ガラス玉はビー玉ほどの大きさになっていた。そして、ガラスの色が凝縮されたかのように深い青色に変わっていた。
泣きそうな顔をしている弟からガラス玉を受け取る。
そしてまた降ってみる。
青い色はキラキラ輝くがそれだけだった。
「きっとこの貝を届けに来たんだよ」
確信はないが「きっと」と言うと、弟はこくりと頷いた。

翌日、再びガラス玉がソファーの下に流れ着いた・・・・・
僕も弟もソファーの上に拾い上げたそれをただじっと見ていた。
ガラス玉は身震いするかのようにひとりで動き出した。
僕も弟もそれを止めることもなくじっと見ていた。
ガラス玉は転がるように動いた。ぽこぽこと水の中にいるような音がした。
そして海の香りを感じた。
それまでも、ソファーの下に海があったというのに、初めて感じる海の香りだった。
そしてキラキラと音を立て、桜貝をソファーの青いカバーの上にいくつもこぼした。
「あ!」
そして再び、ガラス玉は小さなビー玉の大きさになった。
ビー玉は昨日よりも少し緑に近い青色をしていた。
ソファーの上から下を覗き込むと、海は少しだけ遠くに見えた。
「ソウくんもセイちゃんも何をしているの?」
御園さんの声に僕らは驚いた。弟はソファーから落ちそうになって、僕は慌てて抱き止めた。
御園さんも慌てて弟を抱き上げるとそのままベッドに連れて行って、脈を測ったりして異常がないのを確認してから、ホッと息を吐いた。
「あら?」
御園さんは部屋を見渡した。
「どうして潮の香りがするのかしら?」
御園さんは窓を開けた。
「外からではないのよね」
御園さんは振り向き、改めて僕の座るソファーを見た。
「なるほどね」
御園さんはそう言うとサッとしゃがんで、ソファーの下を覗いた。
「ふうん」
右手はソファーを掴み、左手をソファーの奥に伸ばす。僕も、ベッドを降りて来た弟も御園さんの隣にしゃがんで下を覗く。
海はさっきよりも遠くになったような気がした。
御園さんがサッと左手をソファーの下から抜いた。
「この海だったのね」
御園さんの手は濡れていた。
僕らには届かない海は大人の御園さんは触れることができるのか、と羨ましく思った。

僕らは今までに拾ったものを全部ベッドの側のテーブルに置いた。
「この間の星砂もここから出て来たのね」
星砂はガラスの瓶に入っている。
「このボトルも?」
弟が頷く。
御園さんはボトルを振って、中に手紙が入っているのを確認しても取り出そうとはしなかった。
「信じても信じなくてもいいけど、これはあの青いカバーが連れてきた海なのよ」御園さんが言う。
ソファーに掛けてある深い青色をした大きな布、フリーカバーは、御園さんのお祖母様から弟への贈り物だというのだ。
「海を知らないセイちゃんの話をおばあちゃんにしたの。そうしたらおばあちゃんが『これを持っていっておあげ』って。『その子がいつもいるベッドに掛けてあげなさい』って」
ソファーに掛けたのは僕と先生だった。
「先生にソファーに掛けてほしいと頼んだのは私なの。セイちゃんのベッドは大きくて下を覗けないでしょう?」と御園さんは言う。
でもどうして御園さんのお祖母様はこんな不思議なものを持っているのだろう?
「私のおばあちゃんは魔女なのよ」
御園さんが声をひそめて言った。
「ホント?」
僕は思わず聞き返した。弟も隣で目を大きくさせている。
「私も信じてなかったんだけどね」
御園さんはフフフと笑った。
「夏の間はずっと海を呼んでくれるわ」

ソファーで眠ると波の音がした。
流れ着いたガラス玉は10個を越えた。
弟の部屋の宝物は増えていく。
だけど。
「うみ、みたい」弟は言う。
「うみ、いってみたい」
もうすぐ夏が終わる。
弟はベッドの上で小さくなったガラス玉を眺めている。
「来年はきっと一緒に海に行けるよ」
ソファーの下の近くて遠い海は、今日もさわさわと波音を立て、海の香りを運んでくる。
夏が終わるまで、小さな海と一緒に過ごした今年の夏は、特別な夏になるはずだ。

(了)

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続いているようないないような…