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白樺

保育園へ通う道。小さな遊園地を通り抜けると近道だった。階段を登った先にあるその小さな遊園地は白い木に囲まれていた。

それが、子どもの頃の記憶がほとんどない僕にとって、とても印象的な景色だった。

子どもの頃はよく病気をしていた。
入院もよくした。
そして、僕の病気とは関係なく、家の中は、家族はというか父と母はどこかギクシャクとしていた。
この街を出たのは僕が6歳になる直前だった。
3月生まれの僕は、卒園式には出られなかった。

最初は両親も一緒だった、弟も一緒だった。
あちこち引越しを繰り返し、転校を繰り返した。
高校は通信制で、中学卒業と同時にアルバイトもするようになった。
苦労をしていると思っていなかったが、どこかしら自分の生活に芯がないようなそんな気がしていた。
どこに行っても、自分は他所者であり、通り過ぎるだけの者だった。
3つ目のアルバイト先だったタウン誌編集部の社長に、「引っ越すからバイトを辞めなくてはならなくなった」と伝えた時「もしも、キミが両親と一緒でなくても大丈夫なら、しばらくここに住まないか?」と言った。16歳の時だった。
編集部はマンションの5階にあった。2LDKの一室に住んでも構わないと言われた。
社長は僕の両親と会っても話してくれた。
僕と中学生だった弟はその部屋に住むようになった。
そしてそれきり、両親に会うことはなかった。

僕はそのまま社長の事務所に就職する形になった。
弟は高校卒業後、地元の市役所に勤めることができた。
そこでふと自分達の戸籍を取ってみた。
「本籍」にあった住所を見て、そこが自分の生まれ故郷だろうか?そう思った。
でもそれだけだった。

タウン誌はやがて時代と共にネットでも展開し、地元の銘品を販売したり、Uターン、Iターン事業など社長は精力的に活動し、僕は社長の片腕として出来ることを精一杯頑張っていた。
会社は大きくなり、編集部として使っていた部屋全てが、僕と弟の部屋になった。
毎日が充実していた。
その頃、母から連絡があった。
父が死んだという。
葬式も全て終わったから、何も心配しなくていいと、電話の向こうの母が言った。
僕も弟もそして母も「体に気をつけて」と言っただけだった。
電話を切った後、父の死んだ理由も訊かないで終わったことに気がついた。

弟が職場で知り合った相手と結婚する頃、僕は小説の新人賞を取った。
弟も社長も我が事のように喜んでくれた。
小説は私小説と呼んでもいいものだった。
ふと、思い出したことがあった。
白樺に囲まれた小さな遊園地だった。
保育園の行き帰りに中を通るが、遊んだ記憶はなかった。
でもあの白い木に囲まれた場所にもう一度行きたい。
あの街を出てから時々何の理由もなく思い出す景色。
あの道をまた歩いてみたい、ただそれだけだった。

休暇をもらって、あの街に行こう。
おそらく「本籍」にある街だと思う。
本当にそうなのかわからない。
駅に降り立つ。
まるで見知らぬ街だった。
そこへ行く前にネットでいろいろ調べた。
観光地でもない街だ。
それでもその街に住む人がいろいろネットを使って発信している。
その中で「近い」と思った景色の写真が何枚かあった。
白樺に囲まれた東屋と遊歩道。階段の先にある白樺群と緑色のフェンス。
たったそれだけでこの街にやってきた。
ホテルに向かうタクシーの中で、「ここどこかわかりますか?」と訊ねた。
「市立体育館の裏に似ているなぁ」
自分の父親ほどの年齢だろうか、と思うタクシードライバーは言った。
チェックインしたホテルのスタッフにも写真を見せた。
「あぁ、ここは散歩コースだわ」
フロントの若い女性スタッフが言った。
「家の近くの遊園地跡の公園。公園と言ってもベンチが置いてあるだけど」
「そこはここから近いですか?」
「最短で20分ぐらいかしら?でもそれは地元の人しか通らないような道路だから。少し遠回りになるけど、タクシーで市立運動競技場に向かうのが一番確実ですね」
さっきのタクシードライバーも体育館と言っていた。
「そこには体育館もありますか?」
「えぇ。体育館の向かって右手にある階段を登ると、遊園地跡にすぐ出るけど、階段、結構長いんですよ」
僕はお礼を言うと、上着を取りに部屋に戻った。
暦は春だが、この街はまだ寒かった。
呼んでもらったタクシーに乗って、僕はそこへ向かった。

体育館の右側にある階段の前に立った時、「あぁ、ここだ」と思った。
階段を登る。
一段一段はあまり高さを感じないけれども段数がかなりあった。
白樺が次第に近づいてきた。
階段を登り切ると、そこは体育館の屋根とほとんど変わらない高さだった。
そして、白樺に木が、林と呼んでもいいほどの白樺の木がそこにあった。
子どもの頃にその白い木を見ては不思議に思った。
他の木の幹は茶色いのに、どうしてこの木はこんなに綺麗な色をしているのだろう?
そして木は30年分大きくなっていた。
記憶をたどって遊園地のある方へと歩いた。
「確かにここだ」
緑のフェンスが一箇所だけなくてそこから中に入ることが出来る。
ホテルのスタッフが言っていたように遊具は何もなかった。
昔は遊園地らしい乗り物もいくつかあったような気がする。
今はただフェンスを囲むようにして生えている白樺の木と、反対側のフェンスの側に並んで生えている桜の木があるだけで、芝生と呼ぶにはお粗末な緑の部分とアスファルトの遊歩道があるだけだった。
僕はそこをゆっくりと通り抜けた。
通り抜けた先にはあまり道幅の広くない道路と住宅地があった。
その遊園地の外に関する僕の記憶は全くなかった。
僕は後ろを振り向いて、ゆっくりと遊園地跡を歩いた。
平日の午後。誰もいない公園。寂しいような、独り占めできて嬉しいようなそんな気がした。
かつて自分と手を繋いで歩いていた母はいない。
ここに来たことを母に伝えようか?そう思った。
スマホで何枚か写真を撮る。
公園を出た後、東屋近くで、一番白樺が多く見える場所でも写真を撮った。

6年くらいしかいなかった街だけど、やはりここが故郷なんだ。そう思った。
父はこの街に戻れなかった。母はどうするつもりだろう?
僕はこの街にいつか戻って来よう、そう思った。