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山椒魚

夜道と言ってもいい時刻だった。
薄暗がりの中、雨上がりの田舎道を歩いていた僕の目の前で、何かがゆっくりと進んでくる。
黒とも茶色とも灰色とも言い難いそれは、見るからにしっとりと濡れている山椒魚だった。

「サンショウウオって見たことある?」
「ある。水族館だったかなぁ。思ったよりも平べったいと思ったよ。サンショウウオがどうした?」
「見たことないなぁと思って」
「特別天然記念物だしね」
「そうなの?」
「あ、オオサンショウウオがね。結構日本には山椒魚と呼ばれるものはいるらしいけど」
「へぇ…オオサンショウウオだけが山椒魚じゃないんだ」
「自分も山椒魚はオオサンショウウオだけだとずっと思ってた」
「他の山椒魚、天然記念物じゃなくても見ないよね。気がつかないだけかな?」
「両生類だからね。清流とか、水の中、水辺にいるらしいから」
「なかなか山椒魚が居そうなところに行かないよなぁ」

ずるずるでも、ひたひたでも、のしのしでもない。
独特の歩き方で山椒魚が向こうから歩いてきた。
初めて見るそれを山椒魚だと思ったのはなぜだろう。
独特のフォルム。1mはあろうか。体の割に小さな脚。その脚で自分の体を前に前にろ引き上げている。
近づくと体をくねらせ、全身で進んでいるのがわかる。
暗がりの中でも濡れた体は光っているようだった。

「あぁいう生き物の尻尾ってどこから尻尾って呼んでいいのかな?」
「後ろ足から後ろでいいんじゃない?」
「蛇はどこまでが背骨でどこから尻尾なんだろう?」
「それは謎だな」
「山椒魚って何食べるんだ?」
「オオサンショウウオは魚とか蟹を食べるって。捕食の時は素速いらしい」
「意外!」
「ん?」
「肉食も意外だし、速く動けるんだ!」
「同感。水族館でも捕食の瞬間見てないし、説明読んだだけだからさ」
「テレビとかでやらないかな?」
「地味だからねぇ、山椒魚」
「話を聞いてるとそこそこ見応えある感じだけどね。制作者、気付けよって感じ」

顔の大きさに似合った口。
顔の大きさとは全く不釣り合いに思える目。
目の間が十分に離れているが、こちらが見えているのか不安になる。
山椒魚との間がほとんどなくなった時、ふと山椒魚の動きが止まった。
つられてこちらも足を止める。
表情など見つけるのが難しいはずの顔なのに、相手がニヤリと笑ったような気がした。
大きな口の口角が上がる。
そして口を開くことなく言った。
「また会ったな」

「別名をハンザキって言うんだ」
「半分に裂いても生きているからってね」
「まさか」
「トカゲのように尻尾切って逃げちゃうのかな?」
「どうだろう?」
「寿命も結構長い。80年とか」
「人と一緒じゃん!」
「ハンザキにはもう一つ説があってね」
「捕食する際、大きく開いた口がまるで体を半分に開いたように見えるから」
「うわぁ…山椒魚に対するイメージ変わるなぁ」
「がっかりした?」
「え?どうして?ますます見たくなった」
「そう?」
「どこの水族館で見たの?地元?」
「うーん。昔勤めていた会社の社員旅行だったかな?」
「いいなぁ」
「自分も捕食シーン見たいなぁ」
「やっぱりテレビかな?」
「アニマルチャンネルで探してみようか?」

かすれた低い声だった。
誰が誰にまた会ったというのか?
こちらを見上げている山椒魚をじっと見下ろす。
気付かず握りしめていた手がじっとりと汗ばんでいる。
「忘れたのか?つれない奴だ」
ため息をつくかのように、かすかに持ち上げていた頭を下げると、山椒魚はまた歩き出した。
僕は動けずにただじっと山椒魚を見ている。
山椒魚は独特の歩き方で、体をくねらせ行き過ぎようとしている。
尻尾が、つま先をかする。
「またな」
体をくねらせ、わずかに向いた顔は少し寂しそうに見えた。
その顔を前に向けると山椒魚はゆっくりゆっくり向こうに向かって歩いていく。
「元気で。またここで」
声が届いたのか、歩みが止まった。
かすかに頷いたように見えた。
僕は薄闇にその姿が紛れてしまうまで、じっと彼を見送った。