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嵐吹く

昨日から青藍が寝込んでいる。つまらない。
少し前から、話ができるようになって、青藍の部屋を訪れるのが今まで以上に楽しくなったのに、昨日から立入禁止令が出ている。
中に入っていいのは天明先生と十和部さんだけ。
本当は病院に連れて行きたいところだけれども、外がひどい嵐で連れて行くのが難しいということで、天明先生がいろいろ手配して部屋の中で点滴をしたりしている。

昨日、僕が学校から帰って来たら、みんなバタバタしていた。
「おかえり。青藍の部屋に行く前にうがい手洗い着替えをよろしく」
と言ったので、青藍が熱を出したのは想像ついた。
青藍がもっと小さい頃はいつもそうしてたけれど、今は「免疫力が低下している時」に青藍の部屋のドアノブに「Be careful 」と札が掛けられる。
それをわざわざ天明先生が口にしていうのは、きっとよほど具合が悪いのだろう?熱が高いのか?お腹が痛いのか?
部屋を覗いてみたら、青藍が青白い顔で眠っていた。
「青藍」
声を掛けても目を開ける気配はない。
天明先生が部屋に入ってきて、脈を測り、呼吸を確認する。
「機材を用意する間、青藍を見ていてほしい」
状態が悪いのだ。
青藍の手に触るととても冷たい。
思わず額に手をやると、今度はすごく熱かった。
十和部さんが氷枕を持ってきた。
「僕も手伝うよ」
青藍の頭の下にあった氷枕は表面が温く感じるほどだった。
「お昼前から具合が悪くなられたのです」
十和部さんが言った。
氷枕を入れ替えても青藍の目は開かない。そればかりでなく、額の熱さを知らないでいたら死んでいるのではないか?と思うような状態だった。

雨が窓ガラスを強く叩いたり、風に飛ばされた何かが不気味な音を立てる夜は、青藍がぬいぐるみのノアと共に僕の部屋にやってくる。
本当だったら昨夜もそんな夜だったのに、青藍は僕の部屋には来なかった。
今朝もひどい状態で、学校は休みになった。
ここはものすごく天気の良い日が続かない代わりに、ものすごい嵐というのも少ない。それでも天気が下り坂を見せると青藍の体調も崩れるので、テレビの天気予報よりも確かな予報だった。
この嵐のせいで青藍は具合が悪いのだろうか?
今はドイツにいるお祖父様に天明先生が電話をしていた。
「心筋炎の疑いがあります」
シンキンエンって何だ?
「程度次第ですがなんとも。熱と咳をしてたのですが、そのまま息苦しそうにしていて、今は落ち着いていますが脈の方が。えぇ、はい。今日明日で落ち着いてくれたらいいのですが。病院には連絡はしていますがひどい嵐なんです」
そう。ひどい嵐だった。
「薬は届けてもらえましたから、多分大丈夫だとは思いますが、状態が変わる可能性があるのでその点だけはなんともし難いです」
天明先生はいつもなら「大丈夫」と言うけれども、今日は言わない。
雨は強くなったり弱くなったりだけど、風がどんどん強くなっているような気がした。さっき、3階の客間から外を見たけれど、強い雨風で木々が揺れ、信号機がガタガタしているのがわかる。何かが飛ばされているようで、奇妙なシルエットが舞っている。
青藍がキュッとしがみつく感触を感じるけれども、実際には僕ひとりだ。
一瞬風向きが変わって、窓に向かってまるでバケツで水を掛けられたかのように、ものすごい雨がぶつかってきた。
慌てて窓から離れて部屋を出た。
今は1階のリビングにいる。
青藍の部屋は1階のある。本来は別の目的の部屋だったらしいけど、青藍の部屋にした話を聞いた。
天明先生の部屋は青藍の部屋の隣。2階には僕とお祖父様と十和部さんの寝室とお祖父様の仕事のための部屋があった。
普段、使われていない部屋もある。
そんな使われていない部屋で、ひとりで外を眺めるのは、少しだけ怖い感じがした。思い出すとドキドキしてくる。

青藍がいたらこんな心細く思わないのに…

「え?」
いつも僕が青藍を守っていると思っていた。
小さくて弱い青藍を僕が守っていかないといけない。ずっとそう思っていた。
だけど、僕もまた青藍がそばにいてくれることで強くなれていたんだ、と気が付いた。
急に青藍がいなくなることがひどく怖くなった。
どうしていいかわからずに、そばにあったクッションをギュッと抱きしめた。
こうやってギュッと青藍を抱きしめると青藍は僕のシャツをキュッと握る。当たり前だけどクッションは僕のシャツを握ることはない。
僕はクッションを抱きしめたままソファに倒れ込んだ。
部屋のドアが開いた音がした。
慌てて起き上がると天明先生がいた。
「青藍は?」
「大丈夫」という言葉を期待した。
「蒼月。青藍が目を覚ましたら、たくさん話をしてやってほしい」
天明先生はそう言った。少し疲れた顔をしている。
「お話したら青藍は治るの?」
天明先生は僕の隣に座った。
「蒼月のする話は、青藍の心の薬になってくれると思うんだ。心と体と一緒に元気にならないと青藍は治らない」
「青藍は目を覚ます?」
天明先生は窓の外で風に揺れている木を見ているようだった。
「嵐が終わる頃には目覚めてほしいな」
風は強い。木々が大きくしなっている。ミキミキという音も聞こえている。今にも折れてしまいそうだ。ドーンという音と共にものすごい風が通り抜けた。肩がビクッとした。庭の向こうの木の枝が折れたのが見えた。
「ひどいな」
天明先生が僕の肩に手を置いた。
部屋どドアをノックする音が聞こえた。
十和部さんだった。
「青藍坊ちゃんが」
先生が慌てて立ち上がる。僕も立ち上がった。
「蒼月はここにいろ」
ふたりが出て行った後、僕は再びクッションを抱きしめたソファで丸くなった。
風は収まる気配がない。
「蒼月坊ちゃん」
十和部さんの声がした。
慌てて起き上がる。
「どうぞお部屋へ」
クッションを放り投げて急いで青藍の部屋に向かった。
中に入ると天明先生が手招きをした。
青藍は昨日とは違い、目をギュッと閉じて息苦しそうにしている。口には酸素マスクが付けられている。
「名前を呼んで」
どういうことだろう?
青藍は息苦しそうにしながらも何かを言おうとしている。
「蒼月を呼んでいる」天明先生は言った。
「青藍、青藍」
手を握って呼びかける。青藍の手は相変わらず指先が冷たかった。
「青藍、大丈夫だよ。僕がいるよ」
酸素マスクの中が曇る。
青藍がこっちを向いて、瞑っていた目を開いた。
ホッとしたような顔をした。
「大丈夫。僕がそばにいるから。早く元気になって」
かすかに頷いたように見えた。
「大丈夫だ」
天明先生が言った。
思わず僕は泣きそうになった。

風はまだ強く吹いている。